朝日日本歴史人物事典 「雲渓支山」の解説
雲渓支山
生年:元徳2(1330)
南北朝期の臨済宗の僧。一説に明徳2/元中8年6月19日示寂。美濃(岐阜県)の人。俗姓土岐氏。道号ははじめ雲石といい,率性道人とも称した。雪村友梅の法を嗣ぎ,一山一寧の孫弟子に当たる。雪村没後,墓所の大竜庵の塔主を勤めてのち播磨(兵庫県)に下り,法雲寺,宝林寺に住し,帰って山城(京都府)安国寺の住持となる。嘉慶2(1388)年,相国寺の第5世となり,退いたのちは,寺内に玉竜庵を構えて閑居した。のちにこの一派は,同じ一山派である太清宗清の雲頂院とともに,多く副僧録としての蔭涼軒の役職を出し,五山の行政面に深く関与した。<著作>『雲渓山禅師語録』<参考文献>玉村竹二『臨済宗史』
(石井清純)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報