日本歴史地名大系 「霊亀寺跡」の解説 霊亀寺跡りようきじあと 大分県:宇佐市旧宇佐町地区両戒村霊亀寺跡[現在地名]宇佐市両戒両戒(りようかい)から立石(たてし)に通じる山道を五〇〇メートルほど上がった所、吉水(よしみず)にあり、現在、寺跡の西方にある曹洞宗吉水山福昌(ふくしよう)寺が当寺の寺基を継承するという。また現吉水神社は当寺の鎮守であったという。織豊期以降の成立と思われる六郷二十八山本寺目録(太宰管内志)には「吉水山霊亀寺」とあり、本山八ヵ寺の一にあげられる。また同じく中世末の成立と考えられる六郷山定額院主目録(太宰管内志)には「万福山吉水寺今号福昌寺院主護国院徒呂十二坊」などとみえる。文永・弘安の役では当寺を含む六郷(ろくごう)山諸寺院(諸山・諸石屋)で異国調伏等のための各種祈祷が行われた(弘安七年九月日「六郷山異国降伏祈祷巻数目録写」・年月日欠「六郷山異国降伏祈祷巻数并山々勤行次第目録写」長安寺文書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by