日本歴史地名大系 「青倉村」の解説 青倉村あおくらむら 群馬県:甘楽郡下仁田町青倉村[現在地名]下仁田町青倉南境の日向(ひなた)山(一四四七・五メートル)山中より流出する平原(へばら)川・桑本(くわもと)川が土谷沢(つちやざわ)で合して青倉川となって村央を北流する。東は栗山(くりやま)村、北は河井(かわい)村・大桑原(おおくわはら)村、南は平原村(現多野郡中里村)などと接する。近世はおおむね幕府領。寛文郷帳の高一七〇石二斗余はすべて畑方。元禄郷帳には枝村に七久保(ななくぼ)村・桑本村を記す。寛保二年(一七四二)の大洪水では畑屋敷に大被害を受け、押流家数七〇余、流失・流死人五〇余で、桑本は一三〇石余の場所が退転したという(安永三年「戌年大水山崩記事」今井文書)。 青倉村あおくらむら 長野県:下水内郡栄村青倉村[現在地名]栄村大字北信(ほくしん)千曲川北岸、貝立(かいたて)山麓小段丘に立地。東は中条(なかじよう)川を隔てて森(もり)村に接する。千曲川上流北岸に横倉(よこくら)組、北方貝立山中腹に今泉(いまいずみ)組がある。青倉・横倉両集落間で南方へ尾根が突出、千曲川は長楕円形に湾流する。至徳三年(一三八六)七月五日付市河甲斐守(頼房)あての信濃守護代二宮氏泰書状案(謙信文庫旧蔵)に「くれの御かつせんの事、先日大さかい・あをくら方より申され候」とあるのが初見。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報