青地晨(読み)アオチ シン

20世紀日本人名事典 「青地晨」の解説

青地 晨
アオチ シン

昭和期の評論家 日本ジャーナリスト専門学校校長



生年
明治42(1909)年4月24日

没年
昭和59(1984)年9月15日

出生地
富山県

出身地
佐賀県

本名
青木 滋

学歴〔年〕
文化学院文学部卒

経歴
「せるぱん」編集者を経て、中央公論社に入社。昭和19年「中央公論」編集次長の時、言論弾圧の“横浜事件”に連座し、終戦直後まで獄中生活。戦後初代の「世界評論」編集長を経て編集者出身のフリーライター第一号となる。以後評論家として文筆活動に入ったが、48年の金大中事件後は、日韓問題に深くかかわり、日韓連帯連絡会議の代表として活躍する一方、えん罪、再審事件で積極的に発言、救援運動団体の全国連絡会議の代表委員をしていた。また反骨反権力信条で、日本ジャーナリスト専門学校の校長も務めた。主な著書に「叛逆者」「冤罪恐怖」「反骨の系譜」「現代の英雄」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青地晨」の解説

青地晨 あおち-しん

1909-1984 昭和時代の評論家。
明治42年4月24日生まれ。昭和13年中央公論社に入社。19年横浜事件に連座し,獄中生活をおくる。戦後「世界評論」の初代編集長をへて評論活動にはいり,日韓問題や冤罪(えんざい)事件などにとりくんだ。昭和59年9月15日死去。75歳。富山県出身。文化学院卒。本名は青木滋(しげる)。著作に「冤罪の恐怖」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「青地晨」の解説

青地 晨 (あおち しん)

生年月日:1909年4月24日
昭和時代の編集者;評論家
1984年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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