青木信光(読み)アオキ ノブミツ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「青木信光」の解説

青木 信光
アオキ ノブミツ


肩書
貴院議員(子爵)

生年月日
明治2年9月20日

出生地
常陸国松岡(茨城県)

学歴
東京法学院(現・中央大学)〔明治23年〕中退

経歴
常陸松岡藩主中山信徴の4男、旧麻田藩主青木重義子爵の養嗣子となった。明治30年貴族院議員となり昭和21年まで務めた。この間、宗秩寮審議官、日本銀行、住宅営団各監事、鉄道会議議員、国有財産調査会委員などを歴任した。

没年月日
昭和24年12月28日

家族
父=中山 信徴(常陸松岡藩主)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「青木信光」の解説

青木 信光
アオキ ノブミツ

明治〜昭和期の政治家 貴院議員(子爵)。



生年
明治2年9月20日(1869年)

没年
昭和24(1949)年12月28日

出生地
常陸国松岡(茨城県)

学歴〔年〕
東京法学院(現・中央大学)〔明治23年〕中退

経歴
常陸松岡藩主中山信徴の4男、旧麻田藩主青木重義子爵の養嗣子となった。明治30年貴族院議員となり昭和21年まで務めた。この間、宗秩寮審議官、日本銀行、住宅営団各監事、鉄道会議議員、国有財産調査会委員などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青木信光」の解説

青木信光 あおき-のぶみつ

1869-1949 明治-昭和時代前期の政治家。
明治2年9月20日生まれ。中山信徴(のぶあき)の4男。摂津麻田藩(大阪府)藩主青木重義の養子となり,子爵をつぐ。明治30年から昭和21年まで貴族院議員をつとめ,最大会派研究会の幹部として活躍。日本銀行監事。昭和24年12月27日死去。81歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。東京法学院(現中央大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「青木信光」の解説

青木 信光 (あおき のぶみつ)

生年月日:1869年9月20日
明治時代-昭和時代の政治家。貴族院議員;子爵
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の青木信光の言及

【研究会】より

…当初は政党勢力の勢力拡大にもっとも敵対的で,1898年の憲政党内閣や1900年成立の第4次伊藤博文政友会内閣の打倒に力を尽くし,山県有朋閥の貴族院の拠点の一つであった。しかし大正初年の第1次山本権兵衛内閣のころから山県閥のもう一つの拠点である幸俱楽部との間に亀裂が生じはじめ,寺内正毅内閣のころから貴族院全体の指導勢力をめざす〈大研究会〉構想を掲げる水野直,青木信光ら若手幹部の動きが活発になり,原敬内閣の下で準与党となって山県閥の支配を脱して政友会と提携した。24年1月に成立した清浦奎吾内閣は研究会を第1与党としたもので,同会の政界における絶頂期であった。…

※「青木信光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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