青竜社(読み)セイリュウシャ

デジタル大辞泉 「青竜社」の意味・読み・例文・類語

せいりゅう‐しゃ【青竜社】

川端竜子かわばたりゅうしが昭和4年(1929)に創立した日本画団体。同41年、竜子の死により解散

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百科事典マイペディア 「青竜社」の意味・わかりやすい解説

青竜社【せいりゅうしゃ】

日本画の美術団体。1928年日本美術院を脱退した川端竜子自派作品の発表機関として1929年に創立したもの。〈健剛なる会場芸術〉を主張して大作主義をとったのが特徴主宰者竜子の死により,1966年解散。
→関連項目丸木位里横山操

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「青竜社」の意味・わかりやすい解説

青竜社
せいりゅうしゃ

美術団体。 1928年日本美術院同人を辞した川端龍子を主宰者とし,翌年6月に結成。会場芸術を行うなど,はなばなしい動きをみせたが,66年龍子の死とともに解散した。落合朗風福田豊四郎,坂口一草,福岡青嵐,加納三楽輝,山崎豊,市野亨,安西啓明らがおもな同人であった。

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世界大百科事典(旧版)内の青竜社の言及

【川端竜子】より

…15年第2回院展に《狐の径》が初入選,以後《霊泉由来》で院友,《神戦の巻》で同人に推され,《印度更紗》《佳人好在》など奇抜な構想と洋風描写をとり入れた画風で人気を集めた。15年以来平福百穂らと珊瑚会を組織していたが,しだいに院展内で異端的存在となり,《行者道》三部作のころよりその大作主義が院の運営をめぐって同人との対立をきたし,28年美術院を脱退,翌年青竜社を創立した。従来の床の間式日本画に対し大作による会場芸術を掲げ,大衆の気持ちを反映した大衆のための〈健剛なる〉絵画を標榜して,在野団体としての主張を鮮明にした。…

※「青竜社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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