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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…15年第2回院展に《狐の径》が初入選,以後《霊泉由来》で院友,《神戦の巻》で同人に推され,《印度更紗》《佳人好在》など奇抜な構想と洋風描写をとり入れた画風で人気を集めた。15年以来平福百穂らと珊瑚会を組織していたが,しだいに院展内で異端的存在となり,《行者道》三部作のころよりその大作主義が院の運営をめぐって同人との対立をきたし,28年美術院を脱退,翌年青竜社を創立した。従来の床の間式日本画に対し大作による会場芸術を掲げ,大衆の気持ちを反映した大衆のための〈健剛なる〉絵画を標榜して,在野団体としての主張を鮮明にした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」