日本歴史地名大系 「鞁村」の解説 鞁村つづみむら 三重県:員弁郡北勢町鞁村[現在地名]北勢町鼓(つづみ)北中津原(きたなかつはら)村の北に位置する。江戸時代には桑名藩領。天明四年(一七八四)手控帳には田二町九反余、畑六町六反余とあり、畑のほうが広い。文政七年(一八二四)の村明細帳(徳川林政史蔵)には、家数四〇、人数一七五(男八七・女八八)、馬四、牛一八。助馬銀一三匁九分五厘を負担した。神祠に牛頭(ごず)天王・八剣大明神・山之神、寺院一。浄土真宗の道場で、京都興正寺末三重郡小杉(こすぎ)村(現四日市市)持光(じこう)寺下と記す。同一〇年の桑名領郷村案内帳には乳房薬師堂となっている。 鞁村つづみむら 高知県:土佐郡土佐山村鞁村[現在地名]土佐山村都網(つあみ)土佐山村(永谷村)の南西にあり、標高三〇〇―四〇〇メートルの緩斜面に立地。「津久見」(元禄地払帳)、「都積」(土佐州郡志)、「津積」(寛文七年郷帳「南路志翼」所収)とも書き、土佐山郷の一村。「土佐州郡志」は「在三谷北一里、東限三谷之七淵、西限広瀬之雲引、南限三谷之石休場、北限長谷・桑尾二村、東西三十町許南北二十町余、戸凡二十有四、其土赤、細(網)川村属此村」「細(網)川村 在村西北、戸凡十余、其土赤」と記す。天正一七年(一五八九)の土左山九名地検帳に津々見村がみえ、検地面積七町余、屋敷数一〇。大部分は「御直分」。屋敷とその周辺の切畑のほかにかなり水田が開発されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by