日本歴史地名大系 「鞆呂岐庄」の解説
鞆呂岐庄
ともろぎのしよう
淀川中流域左岸に位置した皇室領庄園。現在の寝屋川市北部、近世の
その後の経緯を示す史料を欠くが、応永一〇年(一四〇三)をさほど下らない頃のものと考えられる鞆呂岐庄領家職得分事書案(教王護国寺文書)によると、荒河氏が本主となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
淀川中流域左岸に位置した皇室領庄園。現在の寝屋川市北部、近世の
その後の経緯を示す史料を欠くが、応永一〇年(一四〇三)をさほど下らない頃のものと考えられる鞆呂岐庄領家職得分事書案(教王護国寺文書)によると、荒河氏が本主となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新