日本歴史地名大系 「鞆呂岐庄」の解説
鞆呂岐庄
ともろぎのしよう
淀川中流域左岸に位置した皇室領庄園。現在の寝屋川市北部、近世の
その後の経緯を示す史料を欠くが、応永一〇年(一四〇三)をさほど下らない頃のものと考えられる鞆呂岐庄領家職得分事書案(教王護国寺文書)によると、荒河氏が本主となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
淀川中流域左岸に位置した皇室領庄園。現在の寝屋川市北部、近世の
その後の経緯を示す史料を欠くが、応永一〇年(一四〇三)をさほど下らない頃のものと考えられる鞆呂岐庄領家職得分事書案(教王護国寺文書)によると、荒河氏が本主となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...