鞆城跡(読み)ともじようあと

日本歴史地名大系 「鞆城跡」の解説

鞆城跡
ともじようあと

[現在地名]福山市鞆町後地

鞆町の中心部にある孤丘古城こじよう(約二四メートル)にある。「あくた川のまき」以下の諸史料すべて福島氏時代の草創とする。しかし「福山志料」は天正四年(一五七六)足利義昭を鞆に迎えた時、居館として当城を築いた可能性を示唆しており、近年は福島正則築城以前から前身が存在したと考えられている。

福島氏時代の当城については「あくた川のまき」に「地をならし石をたゝみ、三重の天守すてに調ひ、みかきたてたるたくみは、雲井にそひえ朝日にかゝやく、され共大手矢倉なとの普請はいまたなかはなりしに、一国一城の仰せことありて、天守をおろし矢くらをさけて、平城山となんなりぬ」とあり、福島正則が鞆の地を重視して本格的な城を築こうとしていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む