日本歴史地名大系 「鞆城跡」の解説
鞆城跡
ともじようあと
鞆町の中心部にある孤丘
福島氏時代の当城については「あくた川のまき」に「地をならし石をたゝみ、三重の天守すてに調ひ、みかきたてたるたくみは、雲井にそひえ朝日にかゝやく、され共大手矢倉なとの普請はいまたなかはなりしに、一国一城の仰せことありて、天守をおろし矢くらをさけて、平城山となんなりぬ」とあり、福島正則が鞆の地を重視して本格的な城を築こうとしていたことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報