日本歴史地名大系 「須村」の解説 須村すむら 鳥取県:西伯郡岸本町須村[現在地名]岸本町須村丸山(まるやま)村の西、大山西麓、大原千町(おおはらせんちよう)の北西部に位置する。半(はん)川(佐陀川の上流)の支流粕谷(かすや)川が集落内を西流する。近世は日野郡に属した。地名は同郡の北隅に位置するため、隅(すみ)村が転訛したものという(日野郡史)。大山登拝路のうち、遠藤(えんどう)村から東進する道と岸本村から東進する道が当地で合流、この道はさらに東進して丸山村を経て大山寺へ向かっている。拝領高は二二六石余、本免は四ツ五歩。藪役銀一二匁が課せられ(藩史)、織田氏の給地があった(給人所付帳)。幕末の六郡郷村生高竈付では生高三六九石余、竈数三九。 須村ねずむら 高知県:香美郡香北町須村[現在地名]香北町根須(ねず)下(し)タ田(だ)村の西南、物部(ものべ)川に沿い、「根須」とも記す。東南の槙山(まきやま)郷庄谷相(しようだにあい)村(現物部村)との境は山嶺をはるか禰須側に下ったところにあり、天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳はその境を記したあとに「根須庄谷相面々談合アリ申候分」と、後日のため注記している。しかし「蠧簡集木屑」所収の文書によれば、正保二年(一六四五)にも両村の間に境界論争が起こっている。村内東端に府内(ふない)、西端に小吉野(こよしの)、中央に禰須の三集落があり、府内は前記地検帳に舟井(ふない)ノ村とある。江戸時代初めまで下タ田村に属したが、河岸段丘上の開発が進むにつれて禰須村とつながり、一部が禰須村に入ったのであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報