日本歴史地名大系 「須波村」の解説 須波村すなみむら 広島県:三原市須波村[現在地名]三原市須波町・須波西(すなみにし)町・貝野(かいの)町・沖浦(おきうら)町・鷺浦(さぎうら)町須波田野浦(たのうら)村の東にあり、北・東・南は瀬戸内海に面し、その東に位置する佐木(さぎ)島の北半分、佐木島北の小佐木(こさぎ)島・宿禰(すくね)島をも村域とし、安芸国豊田郡に属した。田野浦村との境の須波畑(すなみばた)(現沖浦町)は標高四〇〇―四四〇メートルの山上に広がる緩傾斜面に立地。西に山地を背負う上須波(かみすなみ)(現須波町)と下須波(現須波西町)は清水(しみず)川などの流域に谷を形成するが、川は短く、水勢は急である。佐木島との間の海は古代からの内海航路にあたる。宿禰島の西側斜面から先土器時代の石器と石片六、縄文式土器片、磨製石斧が出土、小佐木島の北浦(きたうら)遺跡からは縄文後期の土器が出土し、小佐木島・宿禰島には古墳がある。村名は正応二年(一二八九)閏一〇月九日付の関東下知状写(小早川家文書)にみえ、正嘉二年(一二五八)七月一九日に沼田(ぬた)庄地頭小早川茂平から妻浄仏に譲られた所領に佐木島・須並(すなみ)浦がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by