日本歴史地名大系 「田野浦村」の解説 田野浦村たのうらむら 広島県:三原市田野浦村[現在地名]三原市田野浦町・明神(みようじん)町・宗郷(そうごう)町・和田(わだ)町・登(のぼり)町・幸崎(さいざき)町久和喜(くわき)沼田(ぬた)川南岸にあり、両名(りようみよう)村・末光(すえみつ)村・能地(のうじ)村の東に接し、南は瀬戸内海に面する。沼田川対岸に飛地がある。能地村境の沖に有竜(うりゆう)島がある。村の中ほどに連なる標高四〇〇メートル前後の山地で南北に分れ、耕地は沼田川支流本谷(ほんたに)川・宗郷川流域の田野浦谷・宗郷谷、沼田川に面した田喜長(たきなが)新開・鶴集(つるがす)新開・手入(ていれ)新開・宮沖(みやおき)新開、村の中ほど東寄りの田野浦畑(たのうらばた)や南西部の後畑(うしろばた)などの緩傾斜面に展開する。中世には沼田庄浦(うら)郷のうちであった。 田野浦村たのうらむら 新潟県:佐渡郡小木町田野浦村[現在地名]小木町田野浦木流(こながせ)村の西、西に江積(えつみ)村が続く。北は海に面し、南の背後は山地。弘安八年(一二八五)六月一日の佐渡守護北条宣時下知状(河崎村史料編年志)によると、本間重久・宣定との間で「柄積内田浦」などの所属をめぐっての相論があった。ただし同史料は検討を要する。小比叡(こびえ)神社蔵の釈迦如来坐像懸仏には応永二五年(一四一八)六月一日紀銘で「田浦 天神」とみえる。 田野浦村たのうらむら 福岡県:北九州市(旧豊前域)門司区田野浦村[現在地名]門司区田野浦一―三丁目・鳴竹(なるたけ)一―二丁目・大久保(おおくぼ)二―三丁目・清見(きよみ)三―四丁目・新開(しんかい)・田野浦海岸(たのうらかいがん)・太刀浦海岸(たちのうらかいがん)・田野浦門司村の東、九州の最北東端にあり、関門海峡の東口を押える。元和八年人畜改帳に田ノ浦とみえ、高一〇〇石余で家数三一、人数一〇〇(うち百姓二一・名子三)、牛八。宝永三年(一七〇六)の検地帳(門司郷土叢書)では田一三町六反余・分米一三四石余、畠三町八反余・分米一一石余。 田野浦村たのうらむら 高知県:宿毛市田野浦村[現在地名]宿毛市小筑紫(こづくし)町田ノ浦小浦(こうら)村の南にあり、「土佐州郡志」は「東西十七町許南北十九町許、戸凡三十」と記す。天正一七年(一五八九)の田之浦地検帳によると「ふち太良村」(藤太良村)・「大谷村」などを含み、検地面積二〇町三反余、屋敷数三八うち居屋敷一四。屋敷のうちには善福寺・如心庵・瑞正寺が含まれ、ほかに地蔵堂がある。慶長二年(一五九七)の秦氏政事記(蠧簡集)には藤太郎浦刀禰がみえる。江戸時代の当村は、元禄地払帳で枝郷鹿崎(しかざき)村を含めて高付され、地高総計二二七石余、うち本田高二〇〇石余は蔵入地、新田高二六石余は貢物地。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by