須藤善一郎(読み)ストウ ゼンイチロウ

20世紀日本人名事典 「須藤善一郎」の解説

須藤 善一郎
ストウ ゼンイチロウ

明治・大正期の政治家 衆院議員;本荘町長



生年
文久3年9月18日(1863年)

没年
昭和12(1937)年4月10日

出生地
出羽国由利郡本荘中町(秋田県本荘市)

経歴
地主の家に生まれるが、早くに両親を亡くし、17歳で家督相続。はじめ馬産を業とし、明治20年繁殖用牝馬を購入して近隣農家貸付を開始して以来、馬産の改良尽力し、29年には秋田県畜産会長に就任した。この間、秋田県内で大洪水が起こると、被害民救済と被災地復興に奔走して名を挙げ、明治31年には衆院議員に当選し、憲政本党に所属(当選2回)。さらに40年には郷里本荘町の町長に選ばれた。一方、北海道への開拓支援も行い、資金を投じて農民を入植させた。また、相撲好きとしても知られ、照風・国光ら秋田県出身力士の名付け親にもなっている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「須藤善一郎」の解説

須藤善一郎 すとう-ぜんいちろう

1863-1937 明治-大正時代の政治家。
文久3年9月18日生まれ。馬の繁殖,改良を手がけ,明治29年秋田県畜産会長となる。開拓,土地整備にも尽力。31年衆議院議員(当選2回,憲政本党)。40年より12年間本荘町長をつとめた。昭和12年4月10日死去。75歳。出羽(でわ)本荘(秋田県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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