須野浦(読み)すのうら

日本歴史地名大系 「須野浦」の解説

須野浦
すのうら

[現在地名]熊野市須野町

神須こうずはなたてさき半島の中間にあって広い湾形をなし、東面は直接熊野灘に面する。現熊野市の北東端にあたる。浦の北・西・南面は二〇〇―三〇〇メートルの山地に囲まれている。「紀伊続風土記」によれば、文禄元年(一五九二)堀内氏の家老浜田国次の知行地となった。慶長六年(一六〇一)検地帳(徳川林政史蔵)に「須野村」と記されている。近世初期の家数八(「新宮藩御勘定方旧記」和歌山県史近世史料編)。「紀伊続風土記」に「荒磯にして舟かかりなし、海浜にあれとも漁事をなさす、谷狭くして田を墾する地なく、纔に材木を伐り又木引職等をなす」とある。木本組に属する。

寛政一一年(一七九九)九月六日台風のため、八丈はちじよう島の御用船(一七〇石積)が当浦に打上げられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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