頴娃郷
えいごう
鹿児島藩の近世外城の一つ。頴娃郡に所属し、一郡一郷を形成、鹿児島城下より一三里の地にある(三州御治世要覧)。文禄四年(一五九五)六月二九日の豊臣秀吉朱印知行方目録(島津家文書)に島津義弘領としてみえる頴娃郡の「えの村」一万四千九三九石余は当郷にあたる。所属村は近世初期には郡村・牧之内村・御領村、宮十町村(のち拾町村、現開聞町)、仙田村(現同町・山川町)、大山村・岡児ヶ水村(現山川町)、池田村(現指宿市)の八ヵ村であった。正保四年(一六四七)に大山村、慶安三年(一六五〇)には岡児ヶ水村が山川郷に移され、享保一一年(一七二六)御領村が別府村を分村。延享元年(一七四四)今和泉郷(現指宿市)が新設される際に、池田村および仙田村のうちの上野(現開聞町)、利永・尾下(現山川町)の三方限が利永村として今和泉郷に移された(以上、文政七年「頴娃郷旧跡帳」県立図書館蔵)。こうした経緯により所属村は六ヵ村となり、幕末に至る。当郷は鹿児島藩直轄領で、地頭仮屋は郡村に置かれ、周辺に麓(府元)集落と野町が形成されていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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