頴娃郡(読み)えいぐん

日本歴史地名大系 「頴娃郡」の解説

頴娃郡
えいぐん

薩摩国の郡名。古代からみえ、明治二九年(一八九六)に廃された。郡名の訓は「和名抄」に「エノ」とあるが、「ノ」は「エ」と「コオリ」をつなぐ助詞で、本来「エ」であった。「鹿児島県史」は郡名の由来を「エは江にして、池田湖より起るか」と記しているが、古代の開聞かいもん岳の噴火以前にこの山を囲んでいた入江、すなわち開聞の江(ヒラキキノエ)の「エ」をとって郡名としたと考えられる。文永四年(一二六七)一二月三日の島津道仏譲状(島津家文書)に「えのこをり」、元亨五年(一三二五)後正月二二日の島津貞久国廻狩供人注文(旧記雑録)に「ゑのこほり」とみえ、後述のように豊臣秀吉の時代にも頴娃郡えの村の呼称がみえることなどから、「エイ」の呼称は明治期から使用されるようになったとみられる。古代・中世の郡域は現揖宿いぶすき郡頴娃町・開聞町であったとみられ、同郡山川やまがわ町西部をも含んでいた可能性がある。近世になると前記のすべての地域に加え、現指宿いぶすき池田いけだ地区が当郡に含まれており、東は揖宿郡、北東から北西は給黎きいれ郡に接し、南は海に面している。

〔古代〕

「和名抄」による郡名の表記および訓は、東急本国郡部が「娃」と記して「江乃」、名博本が「姓」と記して「エノ」と読んでいる。高山寺本は「姓」、伊勢本は「娃」、元和古活字本は「娃」と記すが、いずれも訓を欠く。なお鎌倉中期頃に成立した「拾芥抄」は「娃」と記し、「エネ」「エノ」と読んでいる。「和名抄」によると、頴娃郷・開聞ひらきき郷からなる。天平八年(七三六)の薩摩国正税帳(正倉院文書)にみえる隼人十一郡の一つ。大宰府跡からは「薩麻頴娃」と記された八世紀前半の木簡が出土している。郡名は前述のように元来「エ」とされていたものが、和銅六年(七一三)の制により好字二文字となり(「続日本紀」同年五月二日条)、頴娃と表記されるに至ったと考えられる。覓国使剽劫事件に際し、文武天皇四年(七〇〇)に竺志惣領によって処罰された衣君県が衣評の督、衣君弖自美が助督であったことから(同書同年六月三日条)、衣評の存在が知られ、衣評は頴娃郡の前身にあたるとするのが一般的である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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