コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

頼春風 らい しゅんぷう

美術人名辞典の解説

頼春風

江戸後期の学者。安芸竹原生。春水の弟。名は惟彊、字は千齢、通称を松三郎。大坂の古林見宜の塾で医術を学び、尾藤二洲とも親しく交友した。帰郷後医者を開業し、藩医に推される。また春風館の建設、竹原書院を創立に尽力するなど竹原の文化隆盛に貢献した。文政8年(1825)歿、73才。

出典|(株)思文閣美術人名辞典について | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

頼春風 らい-しゅんぷう

1753-1825 江戸時代中期-後期の医師,儒者。
宝暦3年生まれ。頼春水の弟。頼杏坪(きょうへい)の兄。大坂の古林見宜(けんぎ)の塾で医術をまなび,尾藤二洲(じしゅう)とまじわる。安永2年郷里の安芸(あき)(広島県)竹原にもどり開業。郷塾竹原書院の創立につくした。文政8年9月12日死去。73歳。名は惟彊。字(あざな)は千齢,叔義。著作に「春風館詩鈔」など。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

頼春風

没年:文政8.9.12(1825.10.23)
生年:宝暦3(1753)
江戸中・後期の儒医。名は惟彊,字は叔義また千齢,通称も千齢。春風は号。安芸(広島)竹原の人。亨翁と仲子の次子,春水の弟で杏坪の兄。14歳のとき兄に従い上坂,父の命により医術を古林見宜の門に学び,当時大坂にあった尾藤二洲とも親しく交友した。3兄弟は,当時の文人らより,春水は方,春風は円,杏坪は三角と評され,円満の人であった。父の病により帰郷,宗家を継いだ。甥山陽が京都に出奔したとき,追手の役を果たし,また山陽幽閉中,編史の名称を尋ねたのに対し,日本外史の名こそ適当だと教えた。詩,書をよくした。<著作>『春風館詩鈔』『芳山小記』

(水田紀久)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

頼春風の関連キーワード塩谷鳳州頼養堂頼元鼎頼亨翁儒者頼鉉

今日のキーワード

姑息

[名・形動]《「姑」はしばらく、「息」は休むの意から》一時の間に合わせにすること。また、そのさま。一時のがれ。その場しのぎ。「姑息な手段をとる」「因循姑息」[補説]近年、「その場だけの間に合わせ」であ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android