朝日日本歴史人物事典 「頼春風」の解説
頼春風
生年:宝暦3(1753)
江戸中・後期の儒医。名は惟彊,字は叔義また千齢,通称も千齢。春風は号。安芸(広島)竹原の人。亨翁と仲子の次子,春水の弟で杏坪の兄。14歳のとき兄に従い上坂,父の命により医術を古林見宜の門に学び,当時大坂にあった尾藤二洲とも親しく交友した。3兄弟は,当時の文人らより,春水は方,春風は円,杏坪は三角と評され,円満の人であった。父の病により帰郷,宗家を継いだ。甥山陽が京都に出奔したとき,追手の役を果たし,また山陽幽閉中,編史の名称を尋ねたのに対し,日本外史の名こそ適当だと教えた。詩,書をよくした。<著作>『春風館詩鈔』『芳山小記』
(水田紀久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報