ロンドン、ブルームズベリーのラッセル・スクエアにある世界最大級の博物館。創立時から図書館を併設する。王立学士院院長を務めた医学者ハンス・スローン卿(きょう)(1660―1753)は、6万5352点に上る古美術、メダル、コイン、自然科学標本類など(ほかに手稿本約4000点、印刷本約4万点)の大コレクションを2万ポンド(彼自身の見積額の4分の1)で国家に遺贈。これに、すでに国の所蔵になっていたロバート・コットン卿一族の蔵書と、初代・2代のオックスフォード卿収集の手稿本とを加え、1753年に設立された。これらを収蔵・展示する建物としてバッキンガム・ハウス(現在の宮殿)も候補に上ったが、結局、現在地にあったモンタギュー邸が購入され、1759年1月から一般に公開された。当初は自然科学コレクションに人気があったといわれるが、自然科学部門は1883年に自然史博物館Natural History Museumに、民族学部門は1970年に人類博物館Museum of Mankindとなってそれぞれ独立した。
収蔵品の増加に伴い、1824年からロバート・スマーク卿の設計で増改築に着手。東側に蔵書のための、西側にエジプト彫刻展示のための新ギャラリーがまず建造され、最後に中央部の旧館を取り壊して、その跡地に1852年、新古典様式のファサードをもつ現在の正面玄関部が完成した。その後も、もう一つの出入口をつけた北側や、古代美術陳列のために西側で増築がなされている。
ロゼッタ・ストーン、パルテノン神殿の彫刻、ネレイデスの祠堂(しどう)、アッシリアの浮彫り、クニドスのデメテルなどの名高い遺品は19世紀前半までに収集されたもので、その後もメソポタミアのウルや、東イングランドのサトン・フー、オーレル・スタイン卿によるシルク・ロードの発掘品、さらに顧愷之(こがいし)筆と伝えられる『女史箴図(じょししんず)巻』など、世界各地の重要な遺品を加えている。
[湊 典子]
1972年に博物館と所轄を分割し、独立した機関となった図書館は、蔵書の質・量ともに世界最大を誇る。チューダー朝以降ジョージ4世までの王家の蔵書をはじめ、マグナ・カルタやリンデスファーンの福音書(ふくいんしょ)などの古文書、古写本、古版本、文豪の手稿なども含み、その一部は博物館ギャラリーに展示されている。有名な円形の閲覧室は、正面玄関奥の中庭であった場所に、ロバートの弟シドニー・スマークの設計で1857年に完成した。中央カウンターから放射状に390の席が並び、直径42メートルの大円蓋(えんがい)を頂く。利用には閲覧許可証が必要だが、1850年にこれを手に入れたマルクスは、ここの資料を駆使して『資本論』を書き上げた。現在では蔵書数は800万冊を超え、書架を並べると約140キロメートルに及ぶといわれる。収容能力に限界がきたことから新施設の建造が計画され、1998年カムデン地区(セント・パンクラス駅の隣)に新館が完成した。
博物館、図書館ともに入場無料で、開館は10~18時。年に数度の祭日以外は、日曜も14~18時の間開館。
[湊 典子]
大英博物館の自然科学部門から1883年に独立して設立された。ロンドン、サウス・ケンジントンにある。世界中の自然史に関する資料を収集しており、自然史研究の世界的な中心ともなっている。動物、昆虫、古生物、鉱物、植物の5部門をもち、とくに動物、古生物に関しては優れたものをもっている。展示は総花的であるが、展示しきれない大量の貴重な資料が所蔵されており、多くの自然史研究者が訪れている。
[雀部 晶]
自然史博物館から1909年に分離独立したのが国立の科学博物館Science Museumで、自然史博物館から廊下によって行き来できるようになっている。物理科学、工業、技術を中心に展示されている。科学史、技術史に関する貴重な資料が収集されており、とくに産業革命期の実物の機械や産業・技術に関する資料は目を見張るものがあり、イギリスの工業・技術の博物館の中心を担っている。またこの博物館は資料の動態保存に優れていることで知られ、動態保存のためにだけで50人以上の技術者スタッフを擁している。
[雀部 晶]
『三上次男・杉山二郎編『世界の博物館 6 大英博物館』(1977・講談社)』
ロンドンにある世界最大級の博物館。ブリティッシュ・ミュージアム。世界で最初の公共博物館で,1759年に開館された。エジプト,ギリシア,ローマ,西アジア,東洋の古代美術,ヨーロッパの中世美術,その他コイン,メダル,版画,素描,写本などを収蔵する。王立学士院の院長を務めた医学者スローンHans Sloane(1660-1753)が自分の大コレクション(歴史的遺品類6万5352点,手写本4100点,印刷本1000万点)を,彼自身が見積もった1000分の1の価格(2万ポンド)で国家に遺贈したことに端を発し,これに,《リンディスファーンの書》,マグナ・カルタなどを含んだR.コットンの蔵書,第1,2代のオックスフォード伯の蔵書が加えられ,これらを収蔵,公開するために現在地にあったモンタギュー・ハウスMontagu Houseが購入された。以後収蔵品は増加の一途をたどり,19世紀初めにはアレクサンドリア条約の結果,ナポレオンの兵士が発見したロゼッタ・ストーンをはじめ多くのエジプト彫刻がネルソンによって,パルテノンからの彫刻群(エルギン・マーブルズ)がエルギン卿によって,それぞれもたらされた。また1830-40年代には各地で盛んな発掘が行われた結果,クニドスのデメテル像,アッシリアの浮彫など,すでにこのころまでに今日この博物館の要をなしている作品が運びこまれている。チューダー朝にさかのぼる王家の蔵書を寄贈したジョージ2世にならい,1823年ジョージ4世が3世のコレクションとともにその蔵書を寄贈したのを機に改築工事が開始された。R.スマークが設計に携わり,47年,今日見られるような新古典様式のファサード(彫刻はウェストマコットR.Westmacottによる)をもつ建物が完成した。ルイ・ナポレオン,ガリバルディ,マルクス,南方熊楠などが訪れたことで有名な円形の図書館閲覧室は,ロバートの弟シドニーSydney Smirkeの設計で,57年に完成している。その後84年,1914年,38年に増築が行われ,現在に近い形となった。収蔵品の拡大と収蔵能力の低下から,自然史部門と,人類学部門は市内の独立した建物に各々1881年,1970年に移っている。また創立以来併設していた図書館は1973年,大英図書館(ブリティッシュ・ライブラリー)British Libraryとして独立し,別組織になった。同図書館は約1000万点の印刷本と約15万点の写本を収蔵,新しい建物がセント・パンクラス駅のそばに建造された。
執筆者:湊 典子
スローンのコレクションには,多くの動植物・鉱物の標本も含まれていた。その後,18世紀末以来大英帝国の発展を背景にして行われた種々の科学的探検旅行の際に収集された標本類が,博物館に収蔵されていった。クックの航海,C.ダーウィンのビーグル号航海,スコットの南極探検などの成果がその代表的なもの。標本類の増加のため自然史部門を別の建物に移転させることになり,1880年サウス・ケンジントンに,A.ウォーターハウス設計のロマネスク様式の建物が完成,翌年一般公開された。近年,伝統的な標本の羅列的展示に,生物学の基本を説明する新しいタイプの常設展示が加えられた。今日では,この自然史博物館Natural History Museum(通称)は,イギリスでもっとも人気のある博物館の一つで,多い年で年間300万人が訪れる。また,自然史博物館は,膨大な標本(展示物はそのごく一部)だけでなく,多くの蔵書,そして,300人以上の科学者と最新の研究設備を擁しており,分類学領域の研究の世界的中心地である。
執筆者:下坂 英
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(南 文枝 ライター/2015年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…56焼失)では一転してギリシアのオーダーを用い,以後多くの公共建築をギリシア様式で建てた。大英博物館(ロンドン,1847)の設計でグリーク・リバイバルの第一人者となる。オーダーは遺構を忠実に再現しているが,平面と立面の扱いではギリシア建築を超える壮大さを追求した。…
…このころから,各国で〈ミュージアム〉の用語がコレクションの保存,展示をする施設に対して用いられるようになった。1759年,イギリスの収集家スローンHans Sloane(1660‐1753)のコレクションを中心に国立博物館(大英博物館)が創設され,また,このころからヨーロッパ各国の王室のコレクションが一般に公開されるようになった。89年に始まったフランス革命は,博物館の歴史にも大きな影響を与えた。…
※「大英博物館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新