額田十日市(読み)ぬかたとおかいち

日本歴史地名大系 「額田十日市」の解説

額田十日市
ぬかたとおかいち

冷泉為広の「越後下向日記」に延徳三年(一四九一)三月一〇日、越後下向の途次「十日市」を通って花をめでたとある。同書には八日市ようかいちを過ぎ、「左ニ芝山湖アリ、并ニカタ山」、そして「右ニ十日市」とあり、「ユブリ橋、里」と続くことから、十日市は片山津かたやまづの東南、動橋いぶりはしの西に比定できる。「天文日記」天文五年(一五三六)六月一四日条に「加州江沼郡額田庄十日市」の彦兵衛が往生に際して五斗の土地を本願寺に寄進したとみえ、同一三年五月四日条には額田十日市村の正闡しようせん坊下正仏彦兵衛が斎を調進したとある。正闡坊は越前毫摂ごうしよう(現福井県武生市)の善鎮が蓮如に帰依して受けた号であるが(反古裏書)、現大聖寺荒だいしようじあら町の毫摂寺由緒に南北朝の内乱後、善智が江沼えぬま郡糟田庄(額田庄)十日市村に一宇を建立したといわれるので(寺院明細帳)、同寺が天文年間には正闡坊の名で当地に存在していたとも考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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