出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
福井県越前市にある寺。真宗出雲路派の本山。山号は出雲路山。寺伝によると,親鸞61歳のとき,京都出雲路に開創し,長子善鸞に付与し,次いで本願寺覚如が,その門弟の丹波の乗専の請によって復興し,その子の善入をして住せしめたという。しかし,本願寺の系図には善入に比定しうる人物は見えない。4世善智のとき兵火にあい,末寺であった越前横越の証誠寺に移り,1340年(興国1・暦応3)に同国山本荘に寺基を定めた。以来6代を経て1575年(天正3)の一向一揆によって焼亡したので再び証誠寺に移り,1603年(慶長8)現地に再興された。江戸時代には,真宗でありながら天台宗の京都青蓮院の院家となっていた。明治維新後は西本願寺派の管轄に入っていたが,1878年独立して派名を公称して本山となった。現在,末寺は65ヵ寺。
執筆者:大桑 斉
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福井県越前(えちぜん)市清水頭(しみずがしら)町にある真宗出雲路(いずもじ)派の本山。山号は出雲路山。1233年(天福1)親鸞(しんらん)が山城(やましろ)国愛宕(おたぎ)郡出雲路(京都市北区)に一寺を創立。善鸞(ぜんらん)がこれを継いだが、寺は衰微した。本願寺第3世覚如(かくにょ)の門弟乗専(じょうせん)が再興し、その後、善入、善智(ぜんち)、善幸が継いだ。善幸のとき、応仁(おうにん)年間(1467~69)の兵乱により堂舎を焼失、長子善秀は京都にとどまったが、次男の善鎮と三男の善智は母とともに越前(えちぜん)国(福井県)に移った。善幸と縁が深かった同国横越(よこごし)(鯖江(さばえ)市)証誠寺(しょうじょうじ)の兼慶(けんきょう)(玄秀(げんしゅう))が蓮如(れんにょ)の門に入り寺を追われたので、善鎮がその後に入って住したのが福井での始まりである。1603年(慶長8)第12世善照のとき証誠寺を離れて現在地に移ったと伝えるが、開基については諸説がある。1878年(明治11)本願寺の所轄から独立し、別派をなした。広大な寺域に本堂、経蔵などが建つが、堂宇の大半は明治時代に再建されたものである。
[清水 乞]
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