毫摂寺(読み)ゴウショウジ

デジタル大辞泉 「毫摂寺」の意味・読み・例文・類語

ごうしょう‐じ〔ガウセフ‐〕【毫摂寺】

福井県越前市にある浄土真宗の寺。出雲路派本山山号は出雲路山。天福元年(1233)親鸞しんらんが京都出雲路に創建本願寺第3世覚如門弟乗専再興。慶長年間(1596~1615)現在地に移転。毫摂は覚如の別号

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精選版 日本国語大辞典 「毫摂寺」の意味・読み・例文・類語

ごうしょう‐じガウセフ‥【毫摂寺】

  1. 福井県武生市清水頭町にある真宗出雲路派の本山。山号は出雲路山。天福元年(一二三三親鸞が山城国愛宕(おたぎ)郡出雲路(京都市北区)に草創。天正一七年(一五八九)粟田口青蓮(しょうれん)院の院家となり、慶長元年(一五九六)現在地に移転。後陽成天皇勅願所

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日本歴史地名大系 「毫摂寺」の解説

毫摂寺
ごうしようじ

[現在地名]武生市清水頭町

清水頭しみずがしらの三分の一を占める広大な寺域を有し、東面して立つ。真宗出雲路派本山。本尊阿弥陀如来。越前真宗四ヵ本山の一つ。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔創立経緯〕

宗祖親鸞六一歳の時、山城国愛宕おたぎ出雲路いずもじ(現京都市北区)に一宇を草創し、息善鸞に付与したのに起源する。のちに覚如の門弟、出雲路乗専が今出川いまでがわ(現同市上京区)に寺基を移し、越前国横越証誠よこごししようじよう(現福井県鯖江市)と本末関係が成立した。応仁の乱後、京都を退転した善智・善鎮はこの本末関係を頼って越前に下向し、横越に寄寓したが、善鎮はやがて山本やまもと荘に毫摂寺を再興した。


毫摂寺
ごうしようじ

[現在地名]宝塚市小浜五丁目

武庫むこ川に向かってせり出した台地上に位置する。戦国期は当寺を中心に寺内町が形成された。浄土真宗本願寺派、出雲路山と号し、本尊は阿弥陀如来。別名小浜こはま御坊。「反古裏書」「摂津名所図会」によると当初丹波六人部むとべ(現京都府福知山市)天台宗寺院であった。鎌倉時代末期の住持乗専はもと清範(嘉暦年中)と称し、禅を修め法華読誦の行人であったと伝えられ、京都出雲路いずもじ(現京都市北区)に寺を移し、元応二年(一三二〇)(仏光寺聖徳太子像胎内文書)、本願寺覚如に帰依、覚如の別号をとって毫摂寺と号し越前横越証誠よこごししようじよう(現福井県鯖江市)と兼任、覚如の末子を請けて二世善入(善性)とした(善福寺本「別格諸寺系図」)


毫摂寺
ごうしようじ

[現在地名]加賀市大聖寺法華坊町

大聖寺法華坊だいしようじほつけぼう町の南西部にあり、出雲路山と号し真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。真宗出雲路派本山毫摂寺(現福井県武生市)から分れた。寺伝によれば、南北朝内乱の兵火で京都出雲路いずもじ(現京都市北区)の毫摂寺が焼失したため、三世善興と次男善知が江沼えぬま黒瀬くろせ村に移って毫摂寺を建立した。八世善海のとき長男善芸が「加州毫摂寺」を継いだので、「当院」九世は四男祐誓が継職したという(天保由緒書)。共通する部分の多い山代の専光やましろのせんこう寺の由緒では当院は専光寺をさし、善海の「弟善芸」が「加州毫摂寺ヲ相承」したとする。善海の四男祐信が毫摂寺から専光寺へ入寺しており、系譜上の混乱はこのために生じたのであろう。

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改訂新版 世界大百科事典 「毫摂寺」の意味・わかりやすい解説

毫摂寺 (ごうしょうじ)

福井県越前市にある寺。真宗出雲路派の本山。山号は出雲路山。寺伝によると,親鸞61歳のとき,京都出雲路に開創し,長子善鸞に付与し,次いで本願寺覚如が,その門弟の丹波の乗専の請によって復興し,その子の善入をして住せしめたという。しかし,本願寺の系図には善入に比定しうる人物は見えない。4世善智のとき兵火にあい,末寺であった越前横越の証誠寺に移り,1340年(興国1・暦応3)に同国山本荘に寺基を定めた。以来6代を経て1575年(天正3)の一向一揆によって焼亡したので再び証誠寺に移り,1603年(慶長8)現地に再興された。江戸時代には,真宗でありながら天台宗の京都青蓮院の院家となっていた。明治維新後は西本願寺派管轄に入っていたが,1878年独立して派名を公称して本山となった。現在,末寺は65ヵ寺。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「毫摂寺」の意味・わかりやすい解説

毫摂寺
ごうしょうじ

福井県越前(えちぜん)市清水頭(しみずがしら)町にある真宗出雲路(いずもじ)派の本山。山号は出雲路山。1233年(天福1)親鸞(しんらん)が山城(やましろ)国愛宕(おたぎ)郡出雲路(京都市北区)に一寺を創立。善鸞(ぜんらん)がこれを継いだが、寺は衰微した。本願寺第3世覚如(かくにょ)の門弟乗専(じょうせん)が再興し、その後、善入、善智(ぜんち)、善幸が継いだ。善幸のとき、応仁(おうにん)年間(1467~69)の兵乱により堂舎を焼失、長子善秀は京都にとどまったが、次男の善鎮と三男の善智は母とともに越前(えちぜん)国(福井県)に移った。善幸と縁が深かった同国横越(よこごし)(鯖江(さばえ)市)証誠寺(しょうじょうじ)の兼慶(けんきょう)(玄秀(げんしゅう))が蓮如(れんにょ)の門に入り寺を追われたので、善鎮がその後に入って住したのが福井での始まりである。1603年(慶長8)第12世善照のとき証誠寺を離れて現在地に移ったと伝えるが、開基については諸説がある。1878年(明治11)本願寺の所轄から独立し、別派をなした。広大な寺域に本堂、経蔵などが建つが、堂宇の大半は明治時代に再建されたものである。

[清水 乞]

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