顧維鈞(読み)コイキン(英語表記)Gu Wei-jun; V. K. Wellington Koo

デジタル大辞泉 「顧維鈞」の意味・読み・例文・類語

こ‐いきん〔‐ヰキン〕【顧維鈞】

[1888~1985]中華民国外交官あざなは少川。嘉定かてい江蘇省)の人。1945年のサンフランシスコ会議の全権代表、駐米大使、国際司法裁判所判事などを歴任クー=ウエイチュン。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「顧維鈞」の意味・わかりやすい解説

顧維鈞
こいきん
Gu Wei-jun; V. K. Wellington Koo

[生]光緒14(1888).1.29. 江蘇嘉定
[没]1985.11.15. ニューヨーク
中国,台湾の外交官,政治家。上海のセントジョーンズ大学,アメリカのコロンビア大学に学んだ。 1912年帰国後,大総統英文秘書,外交部秘書参事。 15年メキシコ駐在公使,15~20年アメリカ駐在公使。 19年パリ平和会議全権代表となるも,国内の講和反対の世論の高まり (五・四運動 ) を受けて調印を拒否。 20年イギリス駐在公使,21~22年ワシントン会議全権代表,22~23年外交総長,24年外交総長兼国務総理代行,26年財政総長,26~27年国務総理兼外交総長,31年外交部長,32年国民党中央政治会議外交委員,35~41年フランス駐在大使,41年イギリス駐在大使を歴任。 37年の国際連盟総会では,日本の軍事行動を明白な侵略行為であると非難国際世論の中国支持獲得に努めた。 45年サンフランシスコ会議中国代表,46年アメリカ駐在大使,57~67年国際司法裁判所判事,総統府資政。 67年引退してニューヨークに移住著書に『中国における外国人の地位』 (1912) などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「顧維鈞」の意味・わかりやすい解説

顧維鈞 (こいきん)
Gù Wéi jūn
生没年:1888-1985

近代中国の外交家。字は少川。江蘇省嘉定に生まれ,若くして渡米,コロンビア大学を卒業した。V.K.Wellington Kooともいう。その秀でた語学力と弁論術は,留学生時代から聞こえ,1915年駐米公使に就任以後,パリ講和会議,ワシントン会議,リットン調査団など,両大戦間期に中国が直面した重大な国際政局のほとんどに,中国代表として活躍し,西欧国際社会に対して,日本の侵略を指弾し続けた。解放時は駐米大使で,その後,総統府顧問,国際司法裁判所判事を歴任した。
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