日本大百科全書(ニッポニカ) 「弁論術」の意味・わかりやすい解説
弁論術
べんろんじゅつ
He techne rhetorike ギリシア語
ars rhetorica ラテン語
論じ合ったり、陳述するための方法。
弁論術の発生
紀元前5世紀のシラクサをはじめとするシチリア島の諸都市では政変に伴って所有権をめぐる無数の訴訟が生じ、コラクスKorax、テイシアスTeisias(前480―?)が法廷弁論のための教授を行った。これが弁論術の始まりとされる。その後ソフィストsophistの活動と結び付いて議会演説にも拡大応用された。ペルシア戦争後急速にアテネに伝播(でんぱ)し、言論能力が国政を主導するアテネの伝統に適合して一大隆盛をみる。
他方ソフィストとは別に、法廷弁論の代作を請け負う者〔ラムヌウスのアンティフォンAntiphon(前480―前411)、リュシアスLysias(前5世紀―前4世紀)〕や青少年の教育を目的とする者(イソクラテス)も現れた。弁論術の学習は手本となる言論の暗記が主流で、そこから実用目的を離れた演示用弁論とよばれる分野が派生した。こうして法廷用、議会用、演示用という弁論の3分野が成立した。
[尼ヶ﨑紀久子]
プラトンの批判
プラトンは、ソフィストたちの弁論術が、真実ではなく真実らしさに基づき、聴衆の善ではなく快に奉仕する迎合に堕している点を批判し、技術(テクネー)としての資格をもたない単なる経験(エンペイリアー)・慣れの域にとどまっていると指摘する。技術としての弁論術は、総合・分割の2契機によって事象連関を探求する弁証術(ディアレクティケー)、および、聴き手の魂(プシュケー)の種類と言表形式の種類との相応をとらえることによって、哲学の言論に資するものとなる。
[尼ヶ﨑紀久子]
アリストテレスによる集大成
プラトンの批判を受け継ぎながら、在来の弁論術の業績を幅広く吸収してこれを技術として完成したのがアリストテレスの『弁論術』である。彼は弁論術を「それぞれの対象に関して可能な説得手段を観察する能力」と定義して、〔1〕立証、〔2〕配列、〔3〕措辞の3部門をたてる。要(かなめ)となるのは〔1〕の立証であり、そこに(1)弁論家の性格(エートス)、(2)聴衆の感情(パトス)、(3)言論そのものの論理(ロゴス)が含まれる。(3)にはさらに、弁論術的帰納とよばれる「例」と、弁論術的推論とよばれる「エンテューメーマ」があり、蓋然(がいぜん)的ないし常識的命題を前提に用いる(したがって、しばしば前提部分が省略される)不完全な三段論法であるエンテューメーマがとくに最有力の立証手段として重視される。すなわちアリストテレスは、真実を探求する哲学的言論とは異なる大衆相手の実践的言論の技術の領分において、真実らしさの実効性に理論的照明をあてたのである。
[尼ヶ﨑紀久子]
キケロとクィンティリアヌス
アリストテレスの影響はヘレニズムおよび古典ローマを支配し、やがて弁論術の5部門((1)発見inventio、(2)配置dispositio、(3)措辞elocutio、(4)記憶memoria、(5)所作actio)が整序され、弁論術を教える学校が設立された。アリストテレス的弁論術を政治実践の場に適用したのが前1世紀のキケロであり、その教授法を確立したのが後1世紀のクィンティリアヌスである。キケロはストア派哲学者の語りの貧しさを批判して、論証のための方法と弁論のための方法の統合を主張した。その際、言表内容・言表形式の両次元における「豊かさ」と、主題に対する言表の「適合性」と、両者の均衡を重んじ、荘重体・中庸体・平淡体の3文体を区別した。共和政体の没落とともに弁論術はその実際的目標を失うが、学校教育の課程に組み込まれることで命脈を保った。
クィンティリアヌスは国家の公の弁論術教師として小児期からの教育計画を立案し、弁論家の要件として普遍的教養と道徳的資質をあげた。彼以後弁論術の重点は措辞、とくに転義・文彩の研究に移り、詩学や文体論と合流して、「書くこと」(文学)の理論すなわち「修辞学」に移行し、やがて自由七科に編入されて中世的教養の重要な部分を構成するに至る。
[尼ヶ﨑紀久子]
『プラトン著、加来彰俊訳『ゴルギアス』(1974・岩波書店)』▽『プラトン著、藤澤令夫訳『パイドロス』(1974・岩波書店)』▽『アリストテレス著、山本光雄訳『弁論術』(1977・岩波書店)』▽『アリストテレス著、今道友信訳『詩学』(1972・岩波書店)』▽『クィンティリアヌス著、小林博英訳『弁論家の教育』(1981・明治図書出版)』▽『藤澤令夫著『プラトン「パイドロス」註解』(1984・岩波書店)』▽『竹内敏雄著『アリストテレスの藝術理論』(1969・弘文堂)』▽『ロラン・バルト著、沢崎浩平訳『旧修辞学』(1979・みすず書房)』▽『グイン著、小林雅夫訳『古典ヒューマニズムの形成――キケロからクィンティリアヌスまでのローマ教育』(1974・創文社)』