日本歴史地名大系 「風坂下下谷車坂町」の解説 風坂下下谷車坂町びようぶざかしたしたやくるまざかまち 東京都:台東区旧下谷区地区風坂下下谷車坂町[現在地名]台東区上野(うえの)七丁目寛永三年(一六二六)起立の東叡山寛永寺東方の門前町が、元禄一一年(一六九八)御用地になったのち与えられた代地の一。屏風坂下の代地は二ヵ所に分れ、南の方は東と南が武家屋敷、西は道を隔てて下谷屏風坂下町、北は下谷(したや)町一丁目代地。北の方は東は道を隔てて下谷御切手(したやおきつて)町と下谷御具足(したやおぐそく)町、西も道路と堀を隔てて東叡山内、南は下谷御具足町、北は横町を隔て養玉(ようぎよく)院。規模は南北とも九三間三尺で片側町。文政九年(一八二六)の家数六六、うち家持三・家守七・地借一六・店借四〇。享保六年(一七二一)から御数寄屋坊主の味岡清宜が拝領屋敷に住んでいた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by