広くは装飾,保存などのために物の下に敷くすべてのものをいうが,一般にはおもに床上に敷くものをさす場合が多い。床上の敷物は,日本のように床にすわる生活風習の民族にみられるものと,椅子式の生活風習の民族にみられるものとに大別できる。すわる風習の場合には,すわりごこちを快適にするのが主目的であるが,椅子式の風習の場合には,室内を美化することと足ざわりを柔らかくするのが目的である。前者には,むしろ,ござ,畳,座布団などがあり,後者には,緞通(だんつう),絨毯(じゆうたん)(カーペット),ラッグやマットなどがある。カーペットは所定の場所に固定して敷きつめるもの,ラッグは暖炉の前などに飾りに敷いたりする小型で任意の場所に随時に用いられるもの,マットはだいたい粗末な材料で作ったもので,浴場の足ふき(バス・マット)や玄関の靴ふきなどに用いられる。
ヨーロッパにおける敷物はトルコ,カフカス,トルキスタン,ペルシアなどの遊牧民の間から起こった。彼らはテント生活を営むが,ここでは手織りのカーペットが不可欠であった。そのカーペットは,砂漠地の人々に慰安を与える花模様や幾何学模様の色彩的な美しいものであった。古代ギリシア・ローマの住居では,床を大理石のモザイクで飾ることが多く行われていたが,敷物を敷く風習はなかった。中世文化が北方に栄えてからは,住居の室内は板床が一般となったが,はじめはそれに敷物を敷く風習はなかった。十字軍の遠征によって東方の文化と交渉がひらけるようになってから,カーペットが移入され,珍重品として扱われた。しかし室内にカーペットが愛用されるようになったのは,16世紀の富豪たちの住居に用いられてからだといわれている。それ以来,しきりに東方民族の民芸品としてのカーペットやラッグが買いあさられ,広く愛用されるようになった。各産地にはそれぞれ独特の伝統的な図柄が受けつがれているが,近年は工業化され,近代的な意匠のものも好まれるようになった。
→絨毯
植物を編んで作ったむしろやござが敷物のはじめのものといえよう。土間に,もみがらやわらや枯草などを敷いて,さらにその上にむしろをのべて起居するというのが最も素朴な形であり,床に板や簀の子(すのこ)を張るようになってからも,いろりのまわりの座席にはとくにわらむしろを敷いて座をつくることが行われてきた。かつて農村では年々新しいわらで新しい敷きむしろを作って室内に敷くのを正月を迎えるしたくの一つに数えていたし,町家でも板床の一部に縁とりのござを敷く例がみられた。中世までは上流階級の家でも床は板張りで,すわるところに個人用の敷物が用いられた。わろうだ,円座など植物を編んだ敷物を座居のために用いたことは,中世の絵巻物や寺社の調度に残されている。また,現今のような厚い畳を広い板の間のあちこちに配置して座布団のように使用した中世の生活様式は,当時の絵画や文学などを通じてもうかがうことができる。畳をいわゆる座敷と称する客間に敷きつめるようになったのは近世になってからのことで,本来は不用のときにはたたんでおくというものであった。その形体も,むしろとは区別のつけにくいもので,現今のように〈とこ〉の厚い畳はその一種にすぎなかったと思われる。畳を日常は取り除いて積み重ねておく風は少し前まで農村には残っており,奄美大島ではこれを〈つんだたみ〉と呼び,沖永良部島でも来客の際には,積みあげてある畳のうちから幾枚かを運んできてこれにすわらせた。畳がしだいに座敷以外の室にも敷きつめられるようになると,さらにすわるときの敷物として座布団が使用されるようになった。この発達の経過も室の敷物と深い交渉をもっており,綿を入れた座布団は木綿綿が豊富に供給されるようになった近代以降のもので,急速に農村にまで普及した。縁とりのござをのべて来客を迎える風はかつては全国いたるところでみられた。今日でも盆に精霊様を迎えるためにござを新調する風習が残る。
次に,日本では敷物と寝具とは密接な関係をもち交錯している。室の敷物の古い型が最近まで寝室に残っていた。他の室の床が板や簀の子になってからも,寝室だけは土間で,もみがらやわらしべを厚く積みあげ,その上に〈ねこだ〉〈ねござ〉〈ねごぶく〉〈にくぶく〉などと呼ぶむしろやござを敷いて,敷布は用いるが敷布団なしに寝る風が長く続いていた。東北から日本海に面した島根県下の村では,板の間の1坪ほどの寝室の敷居を7~8寸の高さにして,わらしべを敷きつめて寝床をつくり,その上に〈ねござ〉と敷布を敷く風がみられた。また東海道以西の暖地では,板の間に〈ねござ〉をひろげて寝たが,起きればこれをたたむので〈おしまくり〉と呼ぶ地方もあった。
執筆者:今 和次郎+瀬川 清子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
物や体が直接支持面に触れないように下に敷くものの意味であるが、普通には住居の床に敷く繊維製品をさす。もとは保温や衛生の立場から床に敷いたのであるが、現在では装飾的な役割のほうが強くなっている。敷物の材料、形状はそれぞれの土地の気候風土や生活様式と密接な関係をもっている。東南アジアのアンペラや日本の畳、ヨーロッパのじゅうたんなどはその代表的な例である。
日本は床に座る習慣があるので、敷物は直接体を支える役目をもつ。『古事記』以前に現れる敷物はスガタタミ(菅畳)で、その後さまざまな敷物が現れるが、おもなものは、神道(しんとう)と関係をもつ菰(こも)、莚(むしろ)、茣蓙(ござ)、仏教と関係をもつ円座(えんざ)、日常生活に結び付いた畳、茵(しとね)、座ぶとん、毛氈(もうせん)、外国との交流によってつくられただんつうなどである。
太古においては住居の床は土間であったから、植物の茎や葉、表皮などを敷いて、寝所や休息の場にしていた。こうした形式はその後、床に簀子(すのこ)や板を張るようになってからも引き継がれた。東北地方の山村などには近年までその形が残っていた。上層階級の住居では、古代の寝殿造から中世の武家の住居に至るまで、床は板敷きであったから、人の座る場所には敷物が置かれた。それらのおもなものは、莚、畳、円座、茵などであった。莚はイグサで織って錦(にしき)で縁どりしたもので、畳は周囲が繧繝縁(うんげんべり)、高麗縁(こうらいべり)、紫縁、黄縁などで飾られていた。また円座は、藁(わら)、ガマ、スゲ、イなどを渦巻形に編んだもので、茵は、布で縁どった正方形の座ぶとんに華麗な文様のついたものであった。なお畳は平時は一部に敷いて残りは積み重ねておき、必要に応じて敷き詰めるという使い方をしていた。畳というのは畳むという意味から出たことばであるという。
一方ヨーロッパで使われる敷物は、ほとんどじゅうたんである。それは生活様式が椅子(いす)式であったため、保温と足ざわりのよさを求めたものであった。じゅうたんは初めは中央アジアの遊牧民が使っていたものが、中世にヨーロッパに伝わった。その後西ヨーロッパを中心にして急速に流行し、製作技術も進んで機械生産されるようになったため広く普及した。中近東諸国では現在でも特色あるものがつくられ、品質は最高級とされている。なおタペストリーというのは壁にかける手織りのものをさすが、古くはもっと広く室内装飾用の手織りの繊維製品をさしていた。日本では第二次世界大戦以降、生活様式が椅子式に変わったため、じゅうたんは畳にかわる敷物として、広く普及している。
[小原二郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…カーペットcarpet,ラッグrugとも呼ばれるが,これらは広く敷物に使われる織物一般をさし,絨毯はとくにパイルpile(添毛)組織による敷物をいう(輪奈(わな)織)。絨緞とも書く。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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