日本歴史地名大系 「飯地村」の解説 飯地村いいじむら 岐阜県:恵那市飯地村[現在地名]恵那市飯地町木曾川・飛騨川と赤川(あこう)断層に区切られた、標高五〇〇―六〇〇メートルの高地である飯地潮見(いいじしおみ)高原の南東端にあり、浅い谷に人家や耕地が散在し、集落と集落は稜線を走る道路で結ばれる。加茂郡に属し、北は中野方(なかのほう)村、東は姫栗(ひめぐり)村・河合(かわい)村に接し、西の現加茂郡八百津(やおつ)町の潮見は飯地村の枝郷で、江戸時代を通じて潮見郷被官地とよばれていた。独立して潮見村を称するのは明治三年(一八七〇)以降である。伝えによれば、昔飯地に七軒の家があり、現在の六つの集落に離ればなれに住んでいた。その人たちが沖田(おきた)の森林を開墾して水田をつくったという。また関ヶ原の合戦の落武者二八人が五明(ごもう)に落ちのび住みつき、そののち飯地全域に住みついたともいう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by