朝日日本歴史人物事典 「飯尾為種」の解説
飯尾為種
生年:生年不詳
室町幕府の法曹官僚。正長1(1428)年の奉書に加判していることから,足利義教の初政か同義持の晩年に奉行人に登用されたものと推定される。義教の治政下に山門奉行として権勢を振るい,山徒(光聚院)猷秀,近習赤松満政らと並んで山門衆徒に弾劾され,永享5(1433)年閏7月,尾張に流罪となった。しかし程なく復帰,公人奉行,神宮開闔に就任するほか,八幡,南都,関東,加茂,祇園,北野など有力寺社の別奉行を歴任し,幕府の裁許に絶大な力を振るった。嘉吉の変(1441)で将軍義教が暗殺されると入道して永祥と称したが,訴訟は引き続き担当,康正1(1455)年までは奉書に加判している。子息に為数,之種がいる。
(今谷明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報