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中世において、公権を所持する権力機構の末端に所属し、検断(けんだん)などの公的活動に従事した職員の一般的名称。鎌倉時代から史料上に登場するようになる。所属する組織や時代によってさまざまな職員が公人と呼ばれた。(1)王朝の下級官人。例えば主殿寮(しゅでんりょう)年預(ねんよ)や采女(うねめ)を公人と呼んだ例がある。室町時代には「外記方(げきかた)公人」「蔵人方(くろうどかた)公人」「官方(かんかた)公人」「馬寮(めりょう)公人」「局中(きょくちゅう)公人」など所属する官司(かんし)の名を冠して呼ばれた。なお、院庁や国衙(こくが)の下級職員も公人と呼ばれている。(2)鎌倉幕府や室町幕府の奉行人。「政所(まんどころ)公人」「問注所(もんちゅうじょ)公人」などと呼ばれた。室町幕府に置かれた「公人奉行」はこうした奉行人全体を統括する奉行人の意味である。このほか、室町幕府侍所(さむらいどころ)や政所の下級職員も公人と呼ばれた。(3)大寺院に所属する下級職員。すなわち、中綱(ちゅうごう)、小綱(しょうごう)、専当(せんとう)、堂童子(どうどうじ)、仕丁(しちょう)などが公人と呼ばれた。以上の公人の用例をみると、本来の職掌に基づく職名がありながら、その職務が検断、使者、年貢徴収など公的活動に拡大することによって公人と呼ばれる場合が多い。彼らはおおむね、座的構成をとる集団を形成し、その経済的基盤は所属機関から支給される給免田(きゅうめんでん)であった。
[稲葉伸道]
『稲葉伸道著「中世の公人に関する一考察」(『史学雑誌』89-10)』
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…その後造寺所の活動が衰退する11世紀中ごろから12世紀になると,大寺院の寺院組織改革・整備にともない,この専当は寺院の政所や公文所,修理所などの下級職員として吸収・組織されていった。彼らは別当や三綱の命令をうけ,寺内や寺領荘園などの経営に従事し,鎌倉時代以降になると公人(くにん)とも呼ばれた。一方,9世紀後半ごろから荘園や国衙領の現地の役人の名称として専当の用例が現れる。…
…和歌所寄人は和歌の選定をつかさどり,召人(めしうど)と呼ばれたが,それ以外の寄人は事務能力に熟達したものが選ばれ,庶務,執事などを担当した。幕府関係の寄人は,問注所寄人が問注所公人(くにん)とも呼ばれたように,公人とも呼ばれた。(2)平安中・後期の荘園における農民の一つの存在形態を示す呼称で,一般的には,自分が耕作している土地の領主(公領を含めて)と異なる領主に人身を隷属させているという,二元的な性格をもった農民をいう。…
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