飯田義一(読み)いいだ・ぎいち

朝日日本歴史人物事典 「飯田義一」の解説

飯田義一

没年:大正13.2.10(1924)
生年嘉永3.12.22(1851.1.23)
明治大正期の実業家。長州(萩)藩の士族飯田行三の長男。官立英語学校を退学後,測量司学校に入学,明治6(1873)年工部省に入ったが,翌年鉄道寮に転じた。17年5月鉄道局を辞し,三井物産に入社した。24,25年インドに出張,印棉輸入の基礎を築いた。26年大阪支店支配人となり,31年には棉花部支配人を兼務し,棉花貿易を支えた。34年理事,41年専務理事となり,三井物産を主宰した。42年10月物産が株式会社に改組されると常務取締役就任。44年10月物産の重役制度が変更されて取締役協議委員となり,三井合名会社参事のほか,王子製紙,三井鉱山などの取締役に就任,活動の中心を三井合名に移した。大正3(1914)年4月シーメンス事件で起訴されると,これらの役職辞任,懲役1年6カ月執行猶予3年の判決を受けた。恩赦を受けると7年10月大正海上火災の取締役会長に就任した。<参考文献>三井文庫編『三井事業史』,専修大学今村研究室『金剛事件』

(粕谷誠)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

20世紀日本人名事典 「飯田義一」の解説

飯田 義一
イイダ ギイチ

明治・大正期の実業家 三井合名参事。



生年
嘉永3年12月22日(1851年)

没年
大正13(1924)年2月10日

出生地
長門国(山口県)

経歴
長州藩士族だが、明治維新で実業を志し、明治7年鉄道寮に入った。17年三井物産会社に転じ、大阪支店長を経て、34年理事、43年取締役となった。三井銀行、三井鉱山各取締役、三井合名会社参事も務めた。大正3年ジーメンス事件で起訴され、三井関係諸会社の職を辞任。その後、芝浦製作所、王子製紙などの重役として活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯田義一」の解説

飯田義一 いいだ-ぎいち

1851*-1924 明治-大正時代経営者
嘉永(かえい)3年12月22日生まれ。明治17年三井物産にはいり綿輸入に従事。43年取締役となる。のち三井銀行,三井鉱山の取締役,三井合名の参事をかねる。大正3年シーメンス事件で起訴され有罪となる。恩赦をうけ,7年大正海上火災保険会長。大正13年2月10日死去。75歳。長門(ながと)(山口県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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