飽波神社(読み)あくなみじんじや

日本歴史地名大系 「飽波神社」の解説

飽波神社
あくなみじんじや

[現在地名]安堵町大字東安堵小字椣原

通称東安堵南方ひがしあんどなんぽう集落の西部に鎮座祭神素盞嗚すさのお命。旧村社。近世には牛頭天王社と称した。「大和志」に「飽浪邑坐神祠」として「邑属安堵村今称牛頭天王神護景雲元年四月幸飽波宮即此」とあり、神護景雲元年(七六七)四月二六日に称徳天皇が行幸した飽波宮(続日本紀)に比定している。南東の極楽寺が神宮寺として勤仕し、同寺蔵藤原期の大般若経は当社へ奉納されたものである。本殿は一間社春日造・銅板葺で、元和三年(一六一七)以来の棟札があり、県指定文化財。


飽波神社
あくなみじんじや

[現在地名]藤枝市藤枝五丁目

岡出おかで山の麓にある。祭神は少毘古那命、相殿に瀬織津比売神・日類児神・天忍穂耳神を祀る。旧郷社。仁徳六年の創建と伝える。「延喜式」神名帳に載る益頭ましず郡四座(並小)のうち「飽波アクハノ神社」は当社に比定される。正徳五年(一七一五)の棟札には「益津荘飽波神社川関大明神」とある。「駿河記」「駿河志料」はともに川関明神社を式内社の飽波神社とし、祭神を瀬織津姫命・蛭子命・押穂美命としており、もとは岡出山の麓にあったが、のち山上に移り、その後さらに現在地に移った時に相殿となったのではないかと記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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