養宜館跡(読み)やぎやかたあと

日本歴史地名大系 「養宜館跡」の解説

養宜館跡
やぎやかたあと

[現在地名]三原町八木養宜中

八木養宜中やぎようぎなか地区のほぼ中央にある、室町時代の淡路守護細川氏の館跡。館跡周辺は三原平野東端の中位段丘上に位置し、北に向かって緩やかに傾斜している。館跡の西側を成相なりあい川、北東から北西養宜ようぎ川が流れる。仁治四年(一二四三)讃岐へ配流となり、淡路を経て配所へ向かった紀伊高野山の僧道範の「南海流浪記」同年二月四日条には「淡路国府」とあり、鎌倉時代八木の地に置かれていたことがわかる。当時の守護長沼氏は淡路国司を兼帯しており、長沼氏にかかわる人々の居館が八木の地に営まれていた。守護館が置かれたのは建武三年(一三三六)淡路守護となった細川師氏が、暦応三年(一三四〇)立川瀬たてかわせ(現南淡町)の戦いで南朝方の在庁武士らを破って以降とされる(味地草)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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