…承久の乱後,阿波守護となった小笠原長清は甲斐から阿波麻殖(おえ)保に移り,その10代後の義長のとき三好郡芝生(しぼう)(現,徳島県三野町)に住み,初めて三好氏を称した。応仁の乱ころには阿波屈指の国人に成長し,守護細川成之の被官として三好,美馬,板野3郡を支配,1506年(永正3)細川政元の猶子澄元の側近として上洛した三好之長(ゆきなが)は,やがて摂津守護代となり,澄元没落後はしばしば再起を企てたが20年刑死した。その孫元長は27年(大永7)細川晴元を擁して上洛,山城守護代となったが,やがて晴元に疎んぜられ,32年(天文1)本願寺の攻撃により自刃。…
※「三好之長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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