朝日日本歴史人物事典 「三好之長」の解説
三好之長
生年:長禄2(1458)
室町時代の武将。阿波半国守護代の三好式部少輔の子。阿波(徳島県)三好郡の国人で本拠は芝生城,守護細川成之の被官。筑前守。応仁の乱では主に従って上洛。文明17(1485)年8月,京都の徳政一揆の張本(首魁)として記録に登場する。文亀3(1503)年,成之の孫澄元が執政細川政元の猶子となるやその被官として永正3(1506)年2月入洛,摂津半国守護代となり,澄元軍の中核として活躍した。これを快く思わぬ山城守護代香西元長は,翌年6月政元を暗殺するとともに細川澄之を擁して澄元,之長を攻め,之長らはいったん近江甲賀に逃れたが,8月の政変で澄之,元長が敗死し澄元が惣領となると,之長はその家宰として絶大な権力を振るった。しかし阿波の田舎武士の専横に対しては抵抗も大きく,翌年細川高国を擁した畿内国人らにより澄元が近江に追放されると之長は没落する。その後再三再起を図るも果たさず,永正8年の船岡山,同17年の等持寺の戦に敗れ,百万遍で刑死した。戦国初期の典型的な国人型守護代として重要である。<参考文献>長江正一『三好長慶』
(今谷明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報