日本歴史地名大系 「養沢村」の解説 養沢村ようざわむら 東京都:あきる野市旧五日市町地区養沢村[現在地名]あきる野市養沢秋(あき)川の支流養沢川の流域にあり、山の中腹や渓間に家家が散居する。村の中央の木和田平(きわんだいら)に高札場がある。ほかに寺岡(てらおか)・本巣(もとす)・怒田畑(ぬたばた)・中丸・神谷(かみや)・疏鑿路などの小名がある。寺岡は乙津(おつ)村内にある飛地。北西に御岳(みたけ)山、北東に麻生(あそう)山、南に馬頭刈(まずかり)山などがある。南は乙津村、南東は戸倉(とくら)村。天正二年(一五七四)八月一一日の讃岐用人回状写(風土記稿)に養沢とある。寛文(一六六一―七三)以前は戸倉村内で、寛文九年戸倉村の小名星竹(ほしだけ)の内を割いて養沢村が立てられたという(風土記稿)。一説には寛文以前に養沢村は一村であったが、寛文年間に乙津村とともに戸倉村に編入され、延宝二年(一六七四)一四〇石余を割いて再び独立したともいう(郡村誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by