日本歴史地名大系 「養賢堂跡」の解説 養賢堂跡ようけんどうあと 宮城県:仙台市仙台城下勾当台養賢堂跡[現在地名]仙台市本町三丁目勾当台(こうとうだい)にあった藩校で、宝暦一〇年(一七六〇)の設立。その前身は元文元年(一七三六)に北三番(きたさんばん)丁の細横(ほそよこ)丁角の侍屋敷を改修して成った学問所で、設立意図はそれまでの詩文を事とする高慢な学風を改め、実学を旨とするというものであった(獅山公治家記録)。移転後、明和八年(一七七一)七代藩主重村の手になる「養賢堂」の扁額を掲げ、学問所を養賢堂と改称した。安政仙府絵図では東西は勾当台通から一筋東の堤(つつみ)通の線まで、南北は北一番丁から養賢堂正面に通じる表(おもて)小路までの広い敷地を占め、表小路の北・南裏は当校用地となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by