日本歴史地名大系 「香取庄」の解説
香取庄
かとりのしよう
鹿取庄とも書く。荘名から香取村を中心とすると思われるが、その立荘経過・荘域などは不明である。「権記」長保二年(一〇〇〇)七月二一日条に「左少弁
応徳二年(一〇八五)四月三日付の桑名郡在庁官人検注言上状などによれば、緑谷・島々の開発予定地をめぐって相論があり、在庁官人・郡司らが御使とともに巡検し、絵図の北界を確かめ、益田庄内であることを報告している。永暦元年(一一六〇)八月二七日付伊勢益田庄下司員部茂助訴状によれば、嘉保三年(一〇九六)の地震によって水没した真目賀嶋・今嶋が再び陸地となり、益田庄荘民が開作したところ、鹿取・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報