日本歴史地名大系 「香宗我部郷」の解説
香宗我部郷
こうそがべごう
「和名抄」にみえる古代の
建久四年(一一九三)六月九日付の将軍家政所下文(香宗我部家伝証文)に「土左国香美郡内宗我部并深淵」の地頭職に中原秋家が補されたことがみえる。中原秋家は武田信義の子一条忠頼の家臣で、本姓は大中臣であるが甲斐小四郎秋家ともいわれる。忠頼が源頼朝に誅された時、歌舞曲に巧みの故をもって召出され(「吾妻鏡」元暦元年六月一八日条)、ついに
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報