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馬寅初 ばいんしょ Ma Yan-chu

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

馬寅初
ばいんしょ
Ma Yan-chu

[生]1882. 浙江,じょう
[没]1982.5.10. 北京
中国の経済学者。北洋大学鉱科卒業後,1907年アメリカに留学し,エール大学およびコロンビア大学で財政学を専攻。帰国後北京大学,交通大学,浙江大学,重慶大学などの教授を歴任。新中国成立後,北京大学学長 (1951) ,全国人民代表大会浙江省代表,中国銀行常務理事などの要職についた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

馬寅初
ばいんしょ / マーインチュ
(1882―1982)

中国の経済学者。浙江(せっこう)省の人。上海(シャンハイ)の中西書院、天津(てんしん)の北洋大学を卒業後、1907年アメリカに留学し、エール大学、コロンビア大学で経済学を学ぶ。帰国後、北京(ペキン)大学、中央大学などの教授を歴任。抗日戦争中に重慶で国民党の財政政策を批判し、監禁されたことがある。49年無党無派の代表として政治協商会議全国委員会委員に選出され、51年北京大学学長となった。論文「綜合(そうごう)均衡理論」(『人民日報』1956年12月28、29日/再論『人民日報』1957年5月11、12日)、「新人口論」(『人民日報』1957年7月5日)などで、避妊による人口の抑制と均衡のとれた総合的な経済政策の必要性を説いたが、党指導部に批判され、60年北京大学学長を解任された。しかし、彼の人口抑制論および均衡発展論を「マルサス主義的反動理論」として退けた結果、一方では人口爆発が放置され、他方では均衡を失した経済政策が強行され、中国の民衆の生活水準は長期にわたって停滞した。こうして彼の主張の正しさは実証され、79年にその学説とともに名誉を回復し、北京大学名誉学長に任ぜられた。『中華銀行論』(1929)、『馬寅初経済論文集』(1932)、『私の経済理論、哲学思想と政治的立場』(1958/再版1980)などの著書がある。[矢吹 晋]

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世界大百科事典内の馬寅初の言及

【中華人民共和国】より

…96年には約12億2400万人に及んでいるが,世界総人口の約5分の1を占める12億という人口の重圧がどれほどのものか,これだけで明らかである。 人口問題に対しては,建国初期に有名な経済学者の馬寅初(1882‐1982)が〈新人口論〉(1957)などを書いて放漫な人口政策に警鐘を鳴らしたが,彼は〈反社会主義〉のレッテルをはられて北京大学教授の地位を追われた。それ以後,人口問題はタブーとなり,晩婚や産児制限は提唱されたが,抜本的対策はとられず,毎年1.5%から2.7%といった高い自然増加率のままに放置され,今日の結果を生んだ。…

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