日本歴史地名大系 「馬屋原重帯寿蔵碑」の解説 馬屋原重帯寿蔵碑うまやはらしげよじゆぞうひ 広島県:福山市旧芦品郡地区向永谷村馬屋原重帯寿蔵碑[現在地名]福山市駅家町向永谷向永谷(むこうながたに)村の庄屋で「西備名区」を著した馬屋原重帯の七〇歳の賀を祝って門人たちが建立した碑で、馬屋原家の墓所の一角にある。三段の基壇上に立つ花崗岩製の方柱で、四方に碑文が刻まれる。県指定史跡。馬屋原氏は中世神石(じんせき)郡志摩利(しまり)庄(現三和町)に地頭として入った関東御家人を祖とし、永正年間(一五〇四―二一)に九鬼(くき)城(跡地は現三和町)を築いて居城、五代重春は毛利氏に従って関ヶ原合戦ののち浪人、その長男重頼が向永谷村に住し、帰農して表屋を称した。三代包重が分家新屋をおこし、代々庄屋を務めた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報