馬籠宿
まごめしゆく
[現在地名]山口村大字神坂 馬籠
東南に大杵山・神坂山・恵那山を負い、西方に傾斜して東濃平野の北端の落合宿を眼下に望み、馬籠峠下の傾斜地に発達した集落であるが、周囲はよく水田化されている。
馬籠が宿としての機能を果していたのは、いつ頃からであるか明白でないが、徳川幕府が中山道諸宿に伝馬制をしいた慶長六―七年(一六〇一―〇二)の頃には、既にここに集落もあって他宿と同様の機能を果していたものと思われる。慶長六年の大久保長安覚書案(木曾旧記録)には、「石川玄蕃殿御女房衆上方ヨリ就被下、馬四十疋馬籠ヨリ福島迄御供候間」とあり、豊臣領時代から馬籠は既に伝馬宿としての機能をもっており、幕府がこれに伝馬役を命令していることが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の馬籠宿の言及
【馬籠】より
…1843年(天保14)の《中山道宿村大概帳》に東西3町33間,家数69軒とあり,木曾十一宿中最小規模の宿場町であった。島崎藤村は馬籠宿の旧本陣の子として生まれ,現在藤村記念館がある。【生駒 勘七】。…
※「馬籠宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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