日本歴史地名大系 「馬籠宿」の解説
馬籠宿
まごめしゆく
東南に
馬籠が宿としての機能を果していたのは、いつ頃からであるか明白でないが、徳川幕府が中山道諸宿に伝馬制をしいた慶長六―七年(一六〇一―〇二)の頃には、既にここに集落もあって他宿と同様の機能を果していたものと思われる。慶長六年の大久保長安覚書案(木曾旧記録)には、「石川玄蕃殿御女房衆上方ヨリ就被下、馬四十疋馬籠ヨリ福島迄御供候間」とあり、豊臣領時代から馬籠は既に伝馬宿としての機能をもっており、幕府がこれに伝馬役を命令していることが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報