馬鴻逵(読み)ばこうき(英語表記)Mǎ Hóng kuí

改訂新版 世界大百科事典 「馬鴻逵」の意味・わかりやすい解説

馬鴻逵 (ばこうき)
Mǎ Hóng kuí
生没年:1892-1970

中国軍人,政治家。甘粛省の生れ。回族軍閥の〈五馬〉の筆頭であった馬福祥息子。馬仲英らとともに〈新五馬〉の一人に数えられる。初め馮玉祥(ふうぎよくしよう)の配下であったが,1929年国民政府側につく。33年寧夏主席となり,省内の経済建設を実施しつつ,みずからの富を築いた。日中戦争中は,第八戦区副司令。48年甘粛省主席に転じた。49年9月までに西北が解放されると,アメリカに亡命カリフォルニア競走馬繁殖を行っていた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬鴻逵」の意味・わかりやすい解説

馬鴻逵
ばこうき / マーホンコイ
(1892―1970)

中国のイスラム教徒指導者、政治家。字(あざな)は少雲。甘粛(かんしゅく)省出身。馬福祥(1876―1932)の子として兄の馬鴻賓(1884―1960)とともに西北地区を支配した。1910年甘粛軍官学校卒業、1925年馮玉祥(ふうぎょくしょう)の傘下に入り、その軍隊国民革命軍第四軍に編入された。1933~1948年、寧夏(ねいか)省主席を務めたが、1948年この地区が人民解放軍下に入ると、広東(カントン)を経てアメリカに亡命した。

[加藤祐三 2018年4月18日]

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百科事典マイペディア 「馬鴻逵」の意味・わかりやすい解説

馬鴻逵【ばこうき】

中国,国民政府時代の西北回族軍閥の巨頭。甘粛省,回族の出身。馮玉祥(ふうぎょくしょう)の師長から中央軍に移る。1933年以降寧夏省の主席として,実権を把握した。1949年解放軍に敗れ米国に亡命。

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