駒ヶ嶺城跡(読み)こまがみねじようあと

日本歴史地名大系 「駒ヶ嶺城跡」の解説

駒ヶ嶺城跡
こまがみねじようあと

[現在地名]新地町駒ヶ嶺 舘・清水

JR常磐線駒ヶ嶺駅の北西約一キロ、東流する立田たつた川北側の丘陵にある山城跡。臥牛がぎゆう城ともいう。城は北東から南西にかけて長い楕円状を呈し、北東から三の丸・本丸・西館が連なり、主軸長は約三〇〇メートル。数段の段差平場からなる南東面には腰郭・二の丸を配し、南に虎口・城門があって大手口となる。戦国期における伊達氏と相馬氏の抗争のなかで、永禄(一五五八―七〇)末から天正(一五七三―九二)初年頃に相馬盛胤が築城したといわれる。

天正四年四月一二日、相馬義胤亘理わたり(現宮城県)亘理城を攻めるため新地に出陣し、当城を拠点としている。同年八月には一五〇騎を率いて坂本さかもと(現宮城県山元町)に攻め入り、城代を討取って新地・駒ヶ嶺両城を防衛。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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