駒越村(読み)こまごしむら

日本歴史地名大系 「駒越村」の解説

駒越村
こまごしむら

[現在地名]岩木町駒越

岩木川左岸弘前城下(現弘前市)対岸に位置し、北は藤代ふじしろ(現弘前市)、西は熊島くましま村、南は近名ちかな村に接する。慶安年間(一六四八―五二)絵図(市立弘前図書館蔵)によれば、岩木川は天和二年(一六八二)真土まつち村で樋ノ口ひのくち(現弘前城跡西堀)を止切り、駒越川一筋になるまで、樋ノ口川が唐内からない坂・狐森きつねもり(現弘前市)から弘前城に連なる丘陵地の真下を通って流れ、西方を駒越川がジグザグに流れていた。


駒越村
こまごえむら

[現在地名]清水市駒越・駒越東町こまごえひがしちよう駒越北町こまごえきたちよう駒越南町こまごえみなみちよう駒越西こまごえにし一―二丁目・駒越中こまごえなか一―二丁目・港南町こうなんちよう殿沢とのさわ一―二丁目・迎山町むかえやまちよう

折戸おりど村の西、有度山うどさん丘陵東麓に位置し、南は海(駿河湾)に接する。寛永九年(一六三二)の徳川忠長改易後は幕府領、国立史料館本元禄郷帳では幕府領と旗本榊原氏の相給。のち同氏と旗本岡野氏の相給地となり、幕末に至る(旧高旧領取調帳など)。元禄郷帳では高三八一石余。元禄七年(一六九四)東海道興津おきつ宿の大助郷、享保一〇年(一七二五)には同宿助郷となり、役高は四二一石(興津宿助郷帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android