骨塚(読み)こつづか

日本歴史地名大系 「骨塚」の解説

骨塚
こつづか

鶴岡八幡宮の一ノ鳥居より海岸側で、若宮大路わかみやおおじの東側一帯付近にあった中世の集団墓地と推定される。昭和二八年(一九五三)・同三一年、簡易裁判所用地内で大小三二の壕内から少なくとも九一〇体分の中世人骨が発掘され、研究の結果、元弘三年(一三三三)新田義貞の鎌倉攻めの際の死者を葬ったものとされた。昭和一〇年頃、その北方に隣接する専売公社の建物建設の際にも、叺一〇杯に及ぶ多量の人骨が発掘されたという。さらに同三二年、その北方でも叺一〇杯ほどの人骨とともに、天保一四年(一八四三)この地を耕作中に多数の白骨を掘出したので、大町おおまちの武田氏が施主となって供養のために建立したという石碑が発掘された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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