高原須美子(読み)タカハラ スミコ*

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「高原須美子」の解説

高原 須美子
タカハラ スミコ*


専攻分野
経済学(とくにマクロ経済と家計接点)

肩書
元・経済企画庁長官,元・プロ野球セ・リーグ会長

生年月日
昭和8年6月16日

出生地
東京

学歴
一橋大学商学部〔昭和31年〕卒

経歴
昭和31年毎日新聞社入社。経済雑誌「エコノミスト記者を経て、38年フリージャーナリストとなる。家計や消費経済生活など、広く国民経済に関わる分野を得意とし、「男性経済論への挑戦」「女は三度老いを生きる」「エイジレスライフ」「いきなり大臣」などの著書がある。55年政府税制調査会委員となり、ほかに国民生活安定審議会委員を務めた。平成元年民間の女性として初めて入閣海部内閣の経済企画庁長官に就任。2年“フォーラム・エネルギーを考える”代表、住友生命総合研究所顧問、金融制度調査会委員、女性初の行革審委員。3年日本証券業協会有識者懇談会委員、4年国民生活審議会委員、5年女性初の日本体育協会会長。7年8月〜10年3月駐フィンランド大使を務め、日本大使館のないエストニア特命全権大使兼任。のち財政制度審議会委員を経て、10年プロ野球のセ・リーグ会長に就任したが、12年病気療養のため任期途中に退任した。

所属団体
日本エストニア友好協会(名誉会員)

受賞
放送文化賞(第52回)〔平成13年〕

没年月日
平成13年8月19日

家族
夫=高原 富保(著述業)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「高原須美子」の解説

高原 須美子
タカハラ スミコ

昭和・平成期の経済評論家 元・経済企画庁長官;元・プロ野球セ・リーグ会長。



生年
昭和8(1933)年6月16日

没年
平成13(2001)年8月19日

出生地
東京

学歴〔年〕
一橋大学商学部〔昭和31年〕卒

主な受賞名〔年〕
放送文化賞(第52回)〔平成13年〕

経歴
昭和31年毎日新聞社入社。経済雑誌「エコノミスト」記者を経て、38年フリージャーナリストとなる。家計や消費経済生活など、広く国民経済に関わる分野を得意とし、「男性経済論への挑戦」「女は三度老いを生きる」「エイジレスライフ」「いきなり大臣」などの著書がある。55年政府税制調査会委員となり、ほかに国民生活安定審議会委員を務めた。平成元年民間の女性として初めて入閣、海部内閣の経済企画庁長官に就任。2年“フォーラム・エネルギーを考える”代表、住友生命総合研究所顧問、金融制度調査会委員、女性初の行革審委員。3年日本証券業協会有識者懇談会委員、4年国民生活審議会委員、5年女性初の日本体育協会会長。7年8月〜10年3月駐フィンランド大使を務め、日本大使館のないエストニアの特命全権大使も兼任。のち財政制度審議会委員を経て、10年プロ野球のセ・リーグ会長に就任したが、12年病気療養のため任期途中に退任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高原須美子」の解説

高原須美子 たかはら-すみこ

1933-2001 昭和後期-平成時代の経済評論家。
昭和8年6月16日生まれ。毎日新聞社の経済誌「エコノミスト」記者をへて,昭和38年評論活動にはいる。平成元年海部内閣の経済企画庁長官に就任。5年日本体育協会会長。7年フィンランド大使。10年プロ野球セリーグ会長。平成13年8月19日死去。68歳。東京出身。一橋大卒。著作に「男性経済論への挑戦」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「高原須美子」の解説

高原 須美子 (たかはら すみこ)

生年月日:1933年6月16日
昭和時代;平成時代の経済評論家。経済企画庁長官;プロ野球セ・リーグ会長
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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