高山寺城跡(読み)こうざんじじようあと

日本歴史地名大系 「高山寺城跡」の解説

高山寺城跡
こうざんじじようあと

[現在地名]柳井市大字伊陸 奥畑

氷室ひむろ岳の南麓にあった城砦で、その跡地は奥畑おくはた地区内に下城、北方に城ヶ岡の地名が残ることから、奥畑に比定される。そのほか周囲に上陣所かみじんじよ陣所じんじよ下馬場しもばばなどの地名を残す。

陶晴賢厳島いつくしまで滅亡した時、町野相模守隆治も討死し、町野氏領地であった伊陸ではその旧家臣たちが高山寺城に立てこもって抗戦した。「陰徳太平記」によると、小早川隆景は弘治元年(一五五五)閏一〇月二八日、由宇ゆう(現玖珂郡由宇町)で伊陸一揆のことを聞き、浦兵部丞・飯田七郎右衛門・香川左衛門尉らに七〇〇騎をもって攻略させた。

高山寺城跡
こうさんじじようあと

[現在地名]氷上町柿柴

柿柴かきしば黒田くろだ長野おさのの各集落に囲まれた弘浪こうろう山、標高四六〇メートル・比高三六〇メートルにあった城。かつて当地に高山寺一〇坊があり、寺跡を曲輪に利用したと考えられる。元弘三年(一三三三)荻野朝忠後醍醐天皇倒幕に参加し、「高山寺ノ城」に立籠った(「太平記」巻八)。建武三年(一三三六)足利方についた守護仁木頼章は丹波の領主たちとやはり当地で籠城している(同書巻一六)。しかし暦応元年(一三三八)には南朝方の支配に入ったようで、江田行義が足立・本荘氏らと籠城している(同書巻一九)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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