高山尚平(読み)タカヤマ ショウヘイ

20世紀日本人名事典 「高山尚平」の解説

高山 尚平
タカヤマ ショウヘイ

明治・大正期の産婦人科医 京都帝国大学京都医科大学教授



生年
万延1年12月5日(1861年)

没年
大正14(1925)年2月28日

出生地
備前国岡山(岡山県岡山市)

学歴〔年〕
帝国大学医科大学〔明治20年〕卒,帝国大学医科大学院

学位〔年〕
医学博士〔明治39年〕

経歴
生坂藩医高山周徳の長男として生まれる。自身も長じて医の道に入り、明治20年帝国大学医学大学を卒業後、同大学院に進んで産婦人科専攻。21年第五高等中学校医学部の教諭となり、長崎病院婦人科産科医長を兼任。28年京都府立医学校に転じ、婦人科産科を講じた。また、京都療病院婦人科産科部長も兼ね、32年には緒方正清・佐伯理一郎らとはかって関西婦人科学会を興した。33年より京都帝国大学医科大学で教鞭を執り、36年には文部省留学生に選ばれてドイツに向かうが、途中の船で病気に罹り、ドイツ着後すぐに帰国。38年京都帝国大学福岡医科大学教授。39年京都帝国大学京都医科大学教授に就任し、以後、大正10年まで在職した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高山尚平」の解説

高山尚平 たかやま-しょうへい

1862*-1925 明治-大正時代の産婦人科学者。
文久元年12月5日生まれ。京都府立医学校教諭をへてドイツへ留学。帰国後京都帝大福岡医科大学(現九大)教授,京都帝大教授となった。大正14年2月28日死去。65歳。備前(びぜん)(岡山県)出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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