20世紀日本人名事典 「緒方正清」の解説
緒方 正清
オガタ マサキヨ
明治・大正期の医師
- 生年
- 元治1年7月21日(1864年)
- 没年
- 大正8(1919)年8月22日
- 出生地
- 讃岐国綾歌郡(香川県)
- 旧姓(旧名)
- 中村
- 学歴〔年〕
- 帝国大学医科大学〔明治20年〕卒
- 学位〔年〕
- 医学博士〔明治38年〕
- 経歴
- 高松医学校で学び、帝国大学医科大学に入学、ここで緒方洪庵の六男・収二郎と知り合ったのが縁で洪庵の四女の夫・緒方拙斎の養子となって緒方姓を名乗った。明治20年帝大を卒業して、21年産婦人科の研究のためドイツ、フランス、イタリアなどに留学、諸大学に学ぶ。この間、ベルリン大学でR.コッホの指導を受ける。25年帰国し洪庵の二男・緒方惟準が院長を務める緒方病院の産婦人科長となり、30年代には大阪今橋に日本初の本格的な産婦人科の専門病院・緒方婦人科病院を設立し独立する。42年ハンガリーのブダペストで開催の万国医学会に官命で出席。後進の育成にも務め、関西女医の先駆となった福井繁子もその一人。また私費を投じて助産婦教育所を設立し助産婦を養成、大正元年廃止となるまで1300名以上が卒業している。助産婦学会を組織して地位向上と研究続行を計り、機関誌「助産の栞」を発行。医師開業試験委員、大阪府医師会会長など多くの公職につき、専門書以外に富山県で多発した佝僂病の研究書もある。著書に「日本婦人科史」「助産婦学」「婦人科手術学」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報