朝日日本歴史人物事典 「高島玄札」の解説
高島玄札
生年:文禄3(1594)
江戸前期の俳人。名は玄道。伊勢(三重県)山田の人で,同地俳壇の古老高島利清の子。慶長19(1614)年ごろ江戸へ出て町家に勤めたのち,医業のかたわら俳諧点者となる。斎藤徳元と並ぶ江戸俳壇草創期の中心人物で,貞門江戸五俳哲のひとり。貞門の第1選集『犬子集』(1633)に,徳元に次いで江戸俳人中第2位の句数が入集する。明暦3(1657)年冬,門人白鴎と両吟の『十種千句』(刊行は1668年)が成る。俳風は,「寛永やあけ七歳のむま(午)の年」などの句のように「上より言掛て興を顕す」(『滑稽太平記』)と評され,言語遊戯をもっぱらとした。
(加藤定彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報