ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「インノケンチウス11世」の意味・わかりやすい解説
インノケンチウス11世
インノケンチウスじゅういっせい
Innocentius XI
[没]1689.8.12. ローマ
ミラノ出身の第240代教皇(在位 1676~89)。福者。本名 Benedetto Odescalchi。ナポリ大学で法学を学んだ。1645年,教皇インノケンチウス10世(在位 1644~55)により枢機卿(→カーディナル)に任命され,ノバラの司教などを歴任,1676年9月に教皇に選出された。登位時,教皇庁の財政は破綻寸前だったが,適正な税制と厳しい倹約,信者からの献金により破産を回避した。オスマン帝国との戦いでは,ポーランド王ヤン3世ソビエスキ(在位 1674~96)と神聖ローマ皇帝レオポルト1世(在位 1658~1705)を資金援助し,1683年のウィーン解放につなげた。ガリア主義を掲げるフランス王ルイ14世(在位 1643~1715)とは反目した。平穏を保つためにプロテスタント教会を容認すべきと考え,ルイ14世のユグノー迫害に反対した。教義面では,ジャンセニズムにある程度の理解を示していた。また静寂主義で知られていたスペインのミゲル・デ・モリノスは友人であったが,逮捕して宗教裁判にかけ,異端として終身刑に処した。17世紀の傑出した教皇とされるが,それは高徳さによるところが大きい。祝日は 8月13日。
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