インノケンチウス11世(読み)インノケンチウスじゅういっせい(英語表記)Innocentius XI

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「インノケンチウス11世」の意味・わかりやすい解説

インノケンチウス11世
インノケンチウスじゅういっせい
Innocentius XI

[生]1611.5.19. ミラノ公国,コモ
[没]1689.8.12. ローマ
ミラノ出身の第240代教皇在位 1676~89)。福者。本名 Benedetto Odescalchi。ナポリ大学で法学を学んだ。1645年,教皇インノケンチウス10世(在位 1644~55)により枢機卿(→カーディナル)に任命され,ノバラ司教などを歴任,1676年9月に教皇に選出された。登位時,教皇庁の財政は破綻寸前だったが,適正な税制と厳しい倹約,信者からの献金により破産を回避した。オスマン帝国との戦いでは,ポーランド王ヤン3世ソビエスキ(在位 1674~96)と神聖ローマ皇帝レオポルト1世(在位 1658~1705)を資金援助し,1683年のウィーン解放につなげた。ガリア主義を掲げるフランス王ルイ14世(在位 1643~1715)とは反目した。平穏を保つためにプロテスタント教会を容認すべきと考え,ルイ14世のユグノー迫害に反対した。教義面では,ジャンセニズムにある程度の理解を示していた。また静寂主義で知られていたスペインのミゲル・デ・モリノス友人であったが,逮捕して宗教裁判かけ,異端として終身刑に処した。17世紀の傑出した教皇とされるが,それは高徳さによるところが大きい。祝日8月13日

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367日誕生日大事典 「インノケンチウス11世」の解説

インノケンチウス11世

生年月日:1611年5月16日?
教皇(在位1676〜89)
1689年没

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