高嶺城跡(読み)こうのみねじようあと

日本歴史地名大系 「高嶺城跡」の解説

高嶺城跡
こうのみねじようあと

鴻ノ峰(高嶺)山頂にあり、大内義長が毛利氏に対して築城した山城。高峯城とも書く。

天文二〇年(一五五一)大内義隆を討った陶晴賢は、豊後大友宗麟の弟晴英を迎え、大内氏の遺領を継がせた。晴英は大内義長と改名して山口にいたが、石見吉見正頼安芸の毛利元就の来攻に備えて、弘治二年(一五五六)の春、高嶺山頂に城を築きこれに対した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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