日本の城がわかる事典 「高嶺城」の解説 こうのみねじょう【高嶺城】 山口県山口市上宇野令にあった中世の山城(やまじろ)。国指定史跡。鴻(こう)の峰は、山口市街の西北に位置する標高338mの孤峰。高嶺城はこの山の頂上部を中心に築かれ、四方に延びる尾根に曲輪(くるわ)を配した。周防(すおう)・長門を本拠とする戦国大名の大内義長(おおうちよしなが)は、1556年(弘治2)に高嶺城を築いた。ところが完成しないうちに毛利氏の攻撃が始まり、結局城を放棄して長門の勝山城に逃れ、やがて自刃して果てた。高嶺城は、毛利氏によって築城が再開され、完成後、城代として市川経好(いちかわつねよし)を置いた。1569年(永禄12)、大内氏再興をめざす大内輝弘(おおうちてるひろ)が山口に侵攻してきて、高嶺城を囲んだ。この時、経好は九州に出陣中だったため、その妻女がわずかな守備兵とともに応戦して、城を守り抜いた。輝弘は九州から引き返してきた毛利氏により潰走させられ、防府の茶臼山で自刃した。1615年(元和1)の一国一城令により、高嶺城は破却されることになり、1638年に廃城となった。遺構として、石垣、曲輪、井戸などが残っている。JR山口線山口駅からバス8分、県庁前下車、徒歩8分で鴻ノ峰登山口、さらに徒歩45分。◇鴻の峰城、鴻之峯城とも記す。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報